ここでは写真だけではわかりにくい、当時の状況を探るべく(過去の資料がなくお困りの方のために)下記のコンテンツを用意しました。皆様の参考になれば幸いです。

列車編成表、車両等、当時の状況がひと目でわかる資料集です。
特に、東北・上越特急最盛期の昭和57年11月15日改正以前の再現に力を入れております。


<ご注意>
ここで公開している各データは公開開始後も常に記事の修正を実施しております。
データを参考にする場合は常に最新のものをご使用下さい。

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記事は概ね上野口・東京口に分けて記載していますが一部関連線区も掲載しています。
また、中央線は基本的に中央東線新宿口のことを指しています。
 ↓ 各ダイヤ改正の箇所までジャンプします。ブラウザの戻るボタンクリックでこの場所に戻ります。
57-11改正 概要 59-2改正 概要 60-3改正 概要
57-11改正 資料集 59-2改正 資料集 60-3改正 資料集



 第1部 : 53-10改正〜56-10改正 および 57-6東北線改正  
    53-10〜57-6改正資料集   57-11改正   59-2改正   60-3改正

ダイヤ改正 東北線・高崎線・上/信越線・常磐線 中央線・東海道線・伊東線・横須賀/総武快速線
53-10改正

(1978年10月2日)
 国鉄の赤字が年々悪化する中、増収と合理化を目指した改正であり、国鉄で初めて列車キロ削減に踏み切った改正である
 東北・上越新幹線開業前における最後の全国白紙改正となった


・特急・急行の号数を下り奇数・上り偶数に統一、特急列車(電車、一部を除く)のヘッドマークが絵入りに

・東北線・高崎線上野口がパターンダイヤ化される(30分サイクル)
 この関係で上野発着特急列車の所要時分が若干延びる結果に

東北線黒磯以南の普通列車全面電車化小山区に115系1000番台登場

・急行『いわて』のうち1往復が仙台止まりとなり『まつしま』に統合、関連で『まつしま』1往復廃止へ

・急行『つくばね』、仙台の455系から勝田の453系に移管

・1977年の仙台455系に続き今改正で新潟165系・長野169系からサハシが消滅
 上野口では1976年までビュッフェ営業していた急行『佐渡』・『信州』・『妙高』に連結されていた これで残るサハシ(非営業)は中央東線の急行『アルプス』だけに

・常磐線に残っていた401・403・415系使用の急行『ときわ』(当該列車は季節臨)が消滅、451・453系に統一される

・特急『ひたち』が3往復増発された関係で急行『ときわ』が3往復削減される
 同時に上野・水戸−仙台間のDC急行『そうま』を電車化し『ときわ』に編入させたため結果的に2往復の減に留まった

・485系列車(12連)の編成順序が全て秋田方式(6号車:サロ、7号車:サシの8M4T)に統一される
 奥羽・羽越線特急増発のため485系1000番台が追加増備される サロ481は新製車の1000番台の他に改造で1050番台(6両)が登場
 この6両は元々サロ481-0として新製されたが新製時より後のサロ481-1000に近い窓配置で登場し、今回1000番台並の耐寒構造仕様に改造され1050番台へ サロ481グループの中では特サロと呼ばれている

・183系1000番台追加増備により181系ときを183系1000番台に置換え これで181系ときは残り3往復のみとなる
 新製両数抑制のためサロ481-0の改造によりサロ183-1050番台登場
 また、181系の編成内容を183系や東北485系に合わせるためモロのモハ化およびサロ181-1100番台新製 サロ181-1100は将来のサロ481化を見越してサロ481-1000番台仕様で落成している

・武蔵野線新松戸〜西船橋間延長開業
 これに伴い101系1000番台は24両(6両編成×4本)が追加改造された
・特急・急行の号数を下り奇数・上り偶数に統一、特急列車(電車、一部を除く)のヘッドマークが絵入りに

・東京発着ブルトレ牽引機が全面的にEF65-500→EF65-1000化(1978年7月28日)

・東京−米子間の寝台特急『いなば』が出雲市まで延長、『出雲』に統合され消滅
 『紀伊』と併結する『出雲3・2号』へ

・田町電車区167系、修学旅行色から湘南色に塗装変更開始(1980年5月完了)
 同じ田町区の155系の湘南色化は1977年3月に完了している

・115系使用の急行『かいじ』・『かわぐち』(当該列車は季節臨)が消滅、165系に統一
54-10改正

(1979年10月1日)
 この改正では上野口はあまり変化はなく、下記のような小変更があった程度である




・583系のグリーン車連結位置を2号車から6号車に変更、485系に合わせる

・189系あさまがオール12連化(改正に先行して1979年7月より実施)
 編成は『とき』の181系・183系に揃えられる
 181系ときの場合と同様189系新製両数抑制のためサロ481改造によりサロ189-50番台が登場
 これにより上野口12連特急列車の編成内容は食堂車の有無の違いはあるが東北・上越・信越ともほぼ同じ編成順序に統一された

・高崎線熊谷〜籠原間に熊谷貨物ターミナル駅開業

・御殿場線新性能化のため115系1000番台(44両)を新前橋区に投入、同区所属の115系300番台44両が小山区に転出し、小山区0番台44両が沼津区に転出
 東海道線の輸送力増強の一環として横浜を迂回する貨物線の開業がメインであった

・東海道線東戸塚(信)〜小田原間線増完成(貨物線新設)、また今回新規に鶴見〜東戸塚(信)間に貨物新線が完成、横浜羽沢駅が開業
 貨物線・品鶴線含め東京(汐留)〜東戸塚(信)間(当時)は事実上の3複線に
 55-10改正までの暫定的措置であった
 この線増により東海道旅客線上を走る貨物列車を全て新貨物線経由に移す

横須賀線に113系1500番台、中央快速線に201系900番台登場

・大船電車区に最後まで残っていたサロ112(2両)が廃車、形式消滅
 これにより113系グリーン車はサロ110・111・113の3形式に整理された

・御殿場線、小山区から転入の115系0番台44両(4両×11本)により新性能化(1980年2月)

・国府津運転所がほぼ現在と同じ規模に拡大され正式に供用開始 大船電車区から113系の一部(182両)が移管(国府津運転所開設は帳簿上では1980年4月1日となっている)
55-10改正

(1980年10月1日)
 53-10改正に続いて全国的に減量化傾向を打ち出した比較的大きな改正であり、特急・急行の一部整理と貨物列車の大幅削減が柱であったが全国白紙改正という規模には至らなかった
 事実上東北・上越新幹線開業前の最後の改正となった


・『ひばり』、新幹線開業準備(乗務員訓練)のため1往復廃止
 仙台運転所の485系運用が1運用減となり、余剰となった11両(食堂車は転出せず)は九州地区急行の特急格上げ用として南福岡電車区に転出

485系1500番台が上野口に登場 (1980年6月より)
 北海道への781系新製配置により余剰となった485系1500番台22両全車が札幌から青森に転属  同数の22両(MM'×7、Tc×8)が仙台運転所のケースと同じ理由で南福岡電車区に転出

・『あけぼの』が20系→24系24形に置換えられ20系が定期特急仕業がら撤退
 今改正で関西発九州方面の『明星』『彗星』など一部が廃止・整理され24系25形0番台60両が向日町から青森に転属、青森から24系24形の一部が玉突きで秋田に転属し最後まで特急仕業に就いていた秋田の20系を置換える
 これに関連して『ゆうづる』の一部が24系24形→24系25形に置換えられて東北方面の寝台特急列車の形式改善が図られた
 余剰となる20系は一部が尾久に転属した他は全て廃車となり、最後まで秋田・尾久で1両ずつ残っていた改造500番台は姿を消す

・『ゆうづる』、1往復季節列車へ格下げ

・急行『まつしま』は6往復から下り4本、上り5本に、急行『ざおう』は3往復→2往復(いずれも季節列車を含む)に削減される
 余剰となった455系はMcM'×3、Tc×2の8両が勝田電車区へ転属し、451系状態不良車の置換えに使用される

 東北線の急行『なすの』・『日光』関係は変化はなかった

・上野口165系・453系普通列車の一部に残っていたグリーン車の営業(東北線525M・529M・522M・524M・574M、高崎線825M・822M・824M、常磐線497M・499M・452M・454M・470M)が終了、上野発着の急行形電車を使用する普通列車に連結されているグリーン車は全てが自由解放に

・高崎線普電輸送力増強、115系1000番台12両を新製投入
 165系を使用していた高崎線普電1往復が115系に置換えられた これで高崎線上野口から新潟運転所165系を使用した普通列車が消滅
 115系1000番台は今回の増備車より奇数向きクハにトイレが復活したが、当面は入口に『業務用』のステッカーが貼られトイレとして使用していなかった

京浜東北線103系にモハ102-2000番台登場、京浜東北線向けとしては最後の103系新製車となる
 クハ103-809・816は非ATC車の続番でありながらATC付き、今回は蒲田電車区に7両が新製配置された
 東海道線では54-10改正に続き大規模な改正となり、54-10改正での貨物新線の開業以降、旧貨物線を旅客用に転用して輸送力を増強するなど、54-10改正でやり残した分の改正とも言えるものだった


・MS分離により東海道線・横須賀線東京〜戸塚間が完全別線に 品鶴線品川〜鶴見間および鶴見〜戸塚間(横浜経由)の貨物線は旅客線化されそれぞれ現在の横須賀線・東海道線の一部に
 同時に横須賀線に新川崎・東戸塚の2駅が開業(東戸塚は信号所から昇格)、同時に東海道線普電停車駅に戸塚を追加(事実上の復活)
 保土ヶ谷・戸塚の両駅はこの改正で駅構内の配線変更も実施され、ほぼ現在のスタイルとなる

・同じくMS分離により総武快速線東京〜品川間(地下線)は横須賀線に移管、横須賀線と総武快速線が品川でドッキングし直通運転開始 1976年の総武快速線品川延長時から品川駅総武快速線ホームは13番線しか使用していなかったが今改正で14番線も使用開始、13・14番線は横須賀線専用ホームに
 同時に品川駅5・6・11・12番線は東海道線専用ホームに変更
 総武快速線と直結したことにより東京駅では地下1〜地下4番線発着となったためスカ色113系が東京駅地上ホームから姿を消す  これに関連して東京駅13番線が廃止され同駅第6ホームは12番線のみとなる
 今改正では東海道線向けに113系2000番台が、横須賀線向けには同1500番台が大量増備された

・54-10改正以降も大船電車区に配属されていた湘南色113系は全車が国府津運転所に移管し、大船電車区は横須賀線113系専門の車両基地に  これに関連して伊東線用のサロ入り7連は大船区のスカ色113系から国府津区113系に変更、今改正では幕張区との若干の車種調整があったため改正以降も暫定的にスカ色が残るが順次湘南色に統一される
 これまで横須賀線用113系11両編成1本がまるごと東海道線の運用に入った事もあったが、55-10改正でこのような変則運用が解消される
 同時に東海道線の慢性的混色も解消されるが一部は検査周期の関係でスカ色が残る

・総武快速線113系は横須賀線と同一の基本11両+付属4両のパターンに組み替えられ(ただし、付属編成の位置は東海道線の場合とは逆)、総武快速線内でもグリーン車が営業開始  グリーン車の営業開始は幕張113系へのサロ組込みが始まった9月10日より  これに関連して9月10日〜30日は総武快速線のみ暫定ダイヤ実施
 サロ113は17両全車が関西から戻り幕張電車区に配置されるが(関西でのグリーン車営業は8月23日で終了)、これも検査周期の関係で改正後暫くの間は一部で湘南色が残る

・大船電車区に最後まで残っていた非冷房サロ110(湘南色:8両、スカ色:2両)が全て廃車となり近郊形グリーン車は100%冷房化が完了
 非冷房のサロ110は53-10改正時点でほとんどが休車状態で国府津運転所に留置されており、またサロ111は既に全車が冷改済であった

・銀河(20系)のテールマークが絵入りに(1980年7月25日)

・東京発西鹿児島行『富士』(九州内日豊本線経由)が宮崎行に短縮され、最長距離運転の寝台特急の座を同じ東京−西鹿児島間の『はやぶさ』(九州内鹿児島本線経由)に譲る

・急行『東海』が4→2往復、急行『ごてんば』が3→2往復に
 『東海』・『ごてんば』は全列車が東京〜国府津間併結運転へ

・田町区155系が事実上の撤退 157系が運用終了、廃車へ
 今まで157系5連で運転されていた御召列車(非公式)は183系7連に クモハ157の独特のスタイルは117系や185系に引き継がれた 
 これで残る157系はクロ157の1両のみに
 東海道線の各種臨時列車および神奈川県日光集約臨(6M5Tの11両編成)は155系→167系(同じくクハ1両減車の11両編成)に置換え
56-10改正

(1981年10月1日)
 全国改正ではなく局地的に大幅に輸送システムが変更された改正であった

 上野口関係は56-10改正ではほとんど動きはなかったが、下記の変更などが発生している




・『ひばり』の一部(5往復)の食堂車が営業休止に
 東北新幹線開業準備によるもので、食堂要員の関係からとられた措置である

『とき』に禁煙車を新設(12号車) 在来線特急の禁煙車は全国初
 試験的要素が強いが、今回『とき』が選ばれたのは車両がとき限定となっていたからである
 東海道線では54-10改正・55-10改正に続き3回連続で大規模な改正となる
 153系淘汰のため185系・113系を大量投入し、以後の東海道線のイメージを決定付ける重要な改正となった


・185系、急行伊豆にて運用開始(1981年3月26日より)、56-10改正まで暫定的に153系と併結

・特急『あまぎ』(4往復)および急行『伊豆』(下り10本・上り8本)を統合しL特急『踊り子』(下り10本・上り11本、以上全て季節列車を含む)が登場、185系が特急運用開始
 これにより田町区153系は一部が幕張に転属した他は全て廃車となり、153系+185系の併結が解消

田町区に113系2000番台を新製配置、153系普電を113系に置き換える  田町区への近郊形電車配置は初
 113系の落成が一部遅れたため153系普電は56-10改正後も暫定的に10月31日まで残る

・急行ごてんばが165系3連→167系4連に変わる
 167系は4連のため東京〜国府津間において在来線最大の16連が登場、16連となった関係で一部の駅ではホームの改修が実施される


・中央線急行165系にはMG容量の関係でサハシ165が連結されていたが185系増備により捻出した新前橋区からのクハ165に置き換えられサハシ165が消滅(1982年3月)
 これにより急行形サハシは全て姿を消した

・総武快速線津田沼〜千葉間線増(複々線化)、113系1500番台追加増備
57-6改正

(1982年6月23日)
東北新幹線先行暫定開業(6月23日大宮〜盛岡間、定期10往復)、在来線の白紙改正は実施されなかった
 東北線は11月14日まで55-10改正ダイヤがベースで一部を修正した暫定ダイヤとなる
 約半年間の貴重なダイヤ編成であった

・新幹線が大宮暫定開業となった関係で、上野開業までの期間限定で上野・大宮駅には『リレーガール』、郡山・福島・仙台駅には『オレンジガール』、盛岡駅には『新幹線コンパニオン』と呼ばれる女性案内係が登場
 『リレーガール』は上野・大宮の『新幹線リレー号』発着ホームにも配置された

大宮−上野間をノンストップで結ぶ『新幹線リレー号』、185系200番台・115系(下り3号のみ)・455系(上り28号のみ)で運転開始 115系は上野→東大宮操間の、455系は大宮→上野間の回送列車を一部時刻変更し営業列車として転用したものである

・『やまびこ』全列車(4往復)、『ひばり』14往復中6往復が廃止、6月後半より485系の青森・仙台→北陸・九州地区への転属が始まる(12月まで)
 また、九州転属に関連して先行で青森・仙台485系使用特急列車の一部が12両→10両に減車される(1982年5月10日〜6月22日まで)

 56-10改正で食堂営業休止となった列車で6月23日以降も残った列車については全列車とも食堂営業が再開

・『やまばと』『つばさ』『いなほ3・4号』から食堂車が姿を消す(1982年7月1日〜)

・『とき』、1982年9月6日より1往復運休(事実上の廃止)、また10月より『とき』用181・183系の減車が開始

・上野発9月1日(上野着9月3日)分より急行『津軽』のオロネ10が、急行『越前』・『能登』の自由席1両がそれぞれ欠車  同様に上野発8月1日分から急行『妙高』のオロネ10が欠車
 以上の4件はいずれも10系寝台車を中心に改正を待たずに車両検査期限切れが発生した関係でとられた措置である

 上記のように夏休み輸送が終了した1982年9月以降57-11改正に向けて上野発着特急列車の運用・編成変更が盛んに行われた

・特急一部廃止により待避が解消されるため東北線普電の一部を対象に時刻修正

・東北新幹線開業と同時に新幹線駅が併設された東那須野は那須塩原(建設工事中の仮称は那須)へ、磐城西郷(いわきにしごう)は新白河(同じく建設工事中の仮称は新白河)へそれぞれ改称、また新幹線独立駅として新規開業する白石蔵王は正式駅名が決まるまでは(仮称)新白石であった
 またこれに関連して新幹線開業を見越して陸前古川が現在地に移転、古川に改称(1980年11月1日)
 新幹線駅建設工事中の新幹線駅部分も『古川』の仮称で工事が進められたが新幹線開業に際し『古川』がそのまま正式駅名となった
(特に動きなし)
<その他>

・53-10改正での電車特急に続き寝台特急のヘッドマークが全て絵入りに(1979年7月1日〜、ただし20系を除く)

・新幹線工事および赤羽駅改良・改築工事に先立ち東北貨物線が赤羽駅構内のみ単線化される(1978年10月2日)
 撤去された1線分は資材置き場および工事車両の通路に変更され、赤羽駅改築工事が全て完了する1998年12月まで約20年間単線状態が続いた

・1979年7月22日に『銀河鉄道999号』(上野〜烏山間)、1983年7月28日に『思い出の銀河鉄道999号』(上野〜宇都宮間)を運転

・『SLやまぐち』号、山口線にて運転開始(1979年8月1日)
 1975年に全国からSLが全廃されてから約4年ぶりの復活で、SLはC571、客車は12系客車5連(非改造)を使用した 運転開始当初から指定席券売り切れが続出し当時の国鉄における最大のヒット商品となった 今日のSL復活運転の礎となった列車である
 1980年運転分(3月1日〜)よりC581が追加となったが、当初は予備機としての登場であった

・1980年4月1日から10年間、国鉄全線完乗キャンペーン『チャレンジ20000km』を実施

・新幹線工事に先立ち上野駅20番線が廃止(1980年5月31日)

・101系の転入により鶴見線(1979年12月4日)、南武支線(1980年11月17日)が新性能化完了
 これにより鶴見線武蔵白石−大川間(クモハ12による単行)を除き首都圏の国電区間は全線が新性能化

・1979年の山手線、1980年の中央総武緩行線・中央快速線・京浜東北線を以って首都圏地区向け103系の新製投入終了

・中央東線普通列車新性能化完了(1980年3月5日)
 身延線からの間合い運用で一部列車において旧形電車が使用されていたが、115系4両の追加投入により普電の115系化が完了 今回投入されたのは115系1000番台で当時のスカ色115系の中では唯一のシートピッチ拡張車

・193系が新製され品川電車区に配置
 1980年3月に近畿車輌で新製されたATC仕様車 1980年度後半より一部で試験的に検測が開始され、翌1981年度より本格使用開始
 これによりクモヤ93と191系(181系からの改造車)が引退した

・品川客車区にスロ81系お座敷客車配置
 大宮工場で1979年6月から改造が進められていたもので史上最後のスロ81系の増備となった 営業開始は1980年5月7日
 以降の改造お座敷車は全て12系客車からの改造となったため念願のお座敷車を保有することになった東京南局にとっては何とも皮肉な結果となってしまった

・東海道新幹線半日運休(1980年9月10日)
 1976年から実施されているもので東京〜新大阪間を午前中のみ完全運休とした上で重軌条化および架線取替を実施、実施回数は40回以上に亘った 下り始発は東京12:36発の『ひかり111号』(岡山行)、上りは東京13:28着の『こだま226号』(三島発)
 半日運休日は東海道線に急行『東海51号』(東京6:00→静岡8:40)・同『東海52号』(名古屋7:13→品川12:39、主に大垣区の153系8連4M4Tを使用)を運転
 55-10改正以降の半日運休日は以下の通り

 1980(昭和55)年:11月26日、12月17日
 1981(昭和56)年:1月21日、2月18日、3月11日、11月18日、12月9日
 1982(昭和57)年:1月27日(最終)

・55-10改正あたりから東大宮操車場構内に開設された関東鉄道学園実習所に教習用車両が留置される 特に左右一体ひさし付のEF58 65は注目を浴びた
 大半が1980年1〜2月に廃車となったもので、他にもEF15 83、DD13 78・84、スハ43 2249、元・中央総武緩行線101系4連などが留置された

・最後まで非冷房車として残っていた167系4両が冷改を受けて出場(1981年4月)、これにより55-10改正で田町区にて保留車となった155系4両を除き東日本地区配置の急行形電車から非冷房車が消滅

・山手線・京浜東北線(大宮〜蒲田間)1981年7月1日よりATC試験運用開始、1981年12月1日より本格運用開始
 第1期工事分が完成し運用が開始された 京浜東北線はこれまで下十条区・蒲田区の編成に限り基本7両+付属3両といういわゆるクモハ先頭編成であったが、ATCクハを先頭に出し非ATCクハ・クモハを中間(6〜7号車)に閉じ込めるため1981年1月〜3月にかけて順次基本6両+付属4両の編成に改められた 既に両端がATCタイプクハで統一されていた浦和区の編成は変化はない
 また京浜東北線では東神奈川電車区の蒲田電車区への統合により、水色ウグイス色の混色編成が多数出現(1981年6月より、混色は1982年夏頃まで)
 同時に横浜線用103系も先頭車はATC付きクハ103に統一され、今まで横浜線の運用に入っていた低運・非ATCのクハ103は京浜東北線に転用され中間(7号車)に閉じ込められたほか、一部は中央総武緩行線に転属となった

 これに関連して首都圏管内で使用されていた旧型国電改造の牽引車・配給車もATC化に伴い大部分が廃車となり、1977年登場のクモヤ143に続き1980年にはクモル145・クル144が登場し事業用車の新性能化が進められる クモル・クルは101系の改造車であるが車体は新製された
 また、ATC準備工事車で登場した一部のクハ103ATCタイプ車は1981年11月までに全車にATCが取付けられた


中央快速線に201系量産車が登場、運用開始(1981年8月20日より)
 201系投入により中央快速線の103系を捻出、1981年9月より大半がオレンジ色のまま170両が中央総武緩行線に順次転出開始し101系を取り替える 一部は南武線にも転出した
 この時から中央総武緩行線103系に黄色オレンジ色の混色編成が多数登場、混色は1984(昭和59)年10月まで続いた
 201系の大量増備により中央快速線および中央総武緩行線の101系が大量に捻出し一部はクモヤ145に改造された他は大部分が廃車の運命を辿るが、一部(54両)は関西本線王寺駅構内で発生した101系の大量廃車 (1982年8月1日の台風による水害のため) がらみで日根野区に転属したため関西本線の101系に大量に混色編成が出る

・上野口急行形電車のグリーン車から青帯が消滅(1981年9月)

・身延線、1981年9月1日にワイン色(実際は赤2号)の115系2000番台に置換えられる 配置は沼津機関区で置換えは9月1日付で一挙に実施
 同時にクモハユニ44置換え用としてクモユニ143が登場

・『とき』用183系(クハ183-1000)のATC取付改造開始(1982年1月〜)
 来る57-11改正での『とき』の廃止により幕張に転属予定のクハ183に対しATC取付工事が行なわれる 改造にあたっては先行してクハ183-1501・1502を新製して『とき』に投入し、順次改造車の捻出を行なった
 改造車は種車の車番+500で区別され、クハ183-1525〜1532の8両が登場した

常磐線に415系500番台が登場(1982年2月3日)
 第1陣として1982年3月までに36両が登場、ロングシート近郊形は全国で初 今回の増備により401系低運車を中心に大量に淘汰されるがクハ401-14・17〜20の5両が生き残り、今回の置換えでの全廃は免れる

・1982年3月10日より185系200番台が高崎線急行・普電で運転開始 57-11改正で特急運用が開始されるまでの暫定運用で一部は165系と併結 前年に行なわれた田町区の185系+153系併結のケースとは異なり165系運用の一部を185系に置換えたもので、165系との併結運用は2往復のみであった
 185系登場により余剰となった165系は一部が57-11改正で飯田線の80系置換え用として7両が転出した他、クハ165が中央線サハシ置換えのために転出した以外ははほとんどが廃車となる

・1982年度増備分から通勤形・近郊形電車の冷房装置が全面的に省エネ形に移行
 当時増備が進んでいた201系についてはMM'61〜、TcTc'29〜、T25〜から省エネ形へ移行した AU75B・C・DからAU75E・F・Gに変更され、クーラーキセがステンレス製(無塗装)に変更されたので一目でそれと確認できる
 対象は201系のみならず103系・403系などの冷房改造車や115系・185系・415系にも及んだ AU75EはB形の、AU75FはC形の、AU75GはD形のそれぞれ後継機である

・1982年5月より通勤形・近郊形電車の車齢15年前後の車両を対象に2全検程度の延命を目標とした特別保全工事がスタート 首都圏でのトップは常磐線の403系K42
 翌1983年から103系(京浜東北線・山手線・常磐快速線)・小山区115系にも登場 大井工場施工車(103系)のみ室内の配色も変更される

・東北線久喜〜栗橋間に東鷲宮駅開業(1982年6月23日) 既設の貨物駅(1981年4月15日開業)に出入りする渡り線の平面交差を避けるため貨物駅開業時点で上り線のみ高架線となっていた  この高架線部分に駅をつくったため下りホームは地上、上りホームは高架という変則的な構造となった(民営化後に高架部分の地平化が検討されたが莫大な費用がかかるため実施されていない)
 朝は上りのみ5本、下りは夕方のみ5本(上下列車とも一部は土休ウヤ)のみ停車した

中央総武緩行線に201系登場、1982年8月14日より営業開始 101・103系に続き201系にも塗装バリエーションが出る

・1982年3月1日より期間限定で国鉄全線普通・快速列車が延べ5日間乗り放題となる『青春18のびのびきっぷ』が発売開始 初回は8、000円
 主に春・夏シーズンに発売された 第3回発売(1983年3〜4月)より『青春18きっぷ』に改称 現在も引続き期間限定で発売されているロングセラー商品である

・伯備線倉敷〜伯耆大山(ほうきだいせん)間および山陰本線伯耆大山〜知井宮間計210.8km電化開業(1982年7月1日)
  電化開業用として同時に開業した出雲電車区(電化と同時に出雲準備電車区から改称)に381系81両、また岡山電車区には115系1000番台60両が新製配置、これにより特急『やくも』全列車および普通列車の大部分が電車化された 伯備線は山岳線区であり、山中での故障の救援が困難である理由から冗長性を考慮し115系は4M2Tの6連とされた
  なお115系と381系は1980年度に各1本が早期落成され乗務員訓練に充当されている

・仁堀航路廃止(1982年7月1日)
 仁方(広島県)〜堀江(愛媛県)間70.0km(営業キロ)を結ぶ航路で、宇高航路(宇野〜高松)のバイパス航路という位置づけだった
 末期の運行本数は54-10改正時点では3往復、55-10改正以降は2往復  これにより国鉄の連絡船は青函・宮島・宇高航路の3路線に整理された

<各車両基地別列車編成表、車両配置表:列車 <当時の時刻表>
’81 小山電車区115系編成表   54-10改正  東北本線列車時刻表(上野発着全列車)  
’81 新前橋電車区115系編成表 55-10改正  東北本線列車時刻表(上野発着全列車)  
’81 青森運転所485系・583系電車編成表  57-6 東北新幹線開業時時刻表(1982年6月23日〜11月14日) 
’81 仙台運転所485系電車編成表 53-10改正〜55-10改正 東北線荷物列車時刻表 
’81 仙台運転所455系編成表   55-10改正 優等列車併結荷物車一覧表
’81 新前橋電車区165系編成表   55-10改正 高崎・上越線列車時刻表(上野発着全列車) 
’81 田町電車区編成表   55-10改正 上野発着列車編成表  
’81 新潟運転所編成表(181・183・165系)  56-10改正〜59-2改正 東海道線東京発着列車編成表 
’82 EF58配置表 53-10改正〜55−10改正 東北485系・583系運用表
’78〜’83 常磐線近郊形電車編成表(車歴表付き) 57年6月23日〜11月14日東北線暫定ダイヤ 485系運用表(青森・仙台) 
’81 長野運転所189・169系編成表 55-10改正 常磐線列車時刻表(103系快速を除く上野発全列車)  
’82 首都圏地区客車配置表   55-10改正 東北・常磐453系・455系運用表  
’81 勝田電車区451・453系編成表   57年3月10日〜11月14日 新前橋電車区185系運用表
急行形サロ青帯消滅一覧表   57年3月10日〜11月14日 新前橋電車区165系運用表 
’81 東海道線東京口113系編成表   55-10改正 首都圏地区EF58運用表   
’81 秋田運転区485系電車編成表   53-10改正〜55-10改正 上信越181・183・189・489系運用表
’81 金沢運転所489系編成表(白山・はくたか)  55-10改正 上信越165・169系運用表
’82 首都圏地区電気機関車配置表  53-10改正〜54-10改正 田町電車区153系運用表 
’82 東北地区電気機関車配置表 
’82 上野口・東北線用客車配置表  
’81 上野口・東北地区気動車配置表  
東北・上越新幹線200系編成表(大宮開業時) 
54-10改正 上野口寝台客車配置表(20系・24系) 
’81 京浜東北線・根岸線103系編成表 
’81 山手線・赤羽線103系編成表 
’81 常磐(快速)線103系編成表 

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第2部 : 57-11改正
    53-10〜57-6改正   59-2改正   60-3改正

ダイヤ改正 東北線・高崎線・上/信越線・常磐線 中央線・東海道線・伊東線・横須賀/総武快速線
57-11改正

(1982年11月15日)
 上越新幹線開業を柱とする全国白紙改正で、全国的に急行の特急格上げが目立った改正となった
 東北・上越新幹線に並行する在来線特急を大幅に廃止し、東日本を中心に輸送システムを新幹線輸送に移行させた最初の改正であった

上越新幹線暫定開業(11月15日大宮〜新潟間)、東北新幹線大幅増発
 東北新幹線は概ね30分ヘッド、上越新幹線は60分ヘッドに
・東北線・高崎線・上越線昼行特急は一部を除いてほとんどが廃止されたが、急行については新幹線大宮暫定開業を考慮して一部が整理されたが大部分は残る

  特に東北特急は改正前の31往復から4往復に激減、また『はつかり』は上野〜盛岡間が廃止され盛岡〜青森間の列車となり、都市間連絡特急から新幹線接続特急への変更を余儀なくされた

 新幹線リレー号も新幹線増発に合わせ大増発され、30分ヘッドに 発着番線も一部の例外を除き上野は6番線、大宮は7番線発着に
 これにより上野−大宮間は東北線・高崎線普電と併せて日中は毎時10分間隔の輸送体制が編成された

 常磐線関係では『みちのく』の仙台〜青森間が廃止され上野〜仙台間の列車となり『ひたち』に統合 『ひたち』は11→12往復へ
 『ゆうづる』は1往復が廃止となったほか、1往復が東北線経由の『はくつる』へ経由変更、『はくつる』は2往復へ

 信越線の『あさま』は急行『妙高』3往復を特急格上げとした関係で10→13往復へ増強、車両は189系が所要増となったが485系・183系1000番台からの改造車が登場し189系500番台(MM')・同1500番台(MM'・TcTc'・Ts')が出現
 このうちMM'(モハ188・189)-500番台は種車(485系)の車体を使用せず車体新造によって改造が行われた

 特急『いなほ』は改正で新潟からの新幹線接続特急となったため、改正で残った上野乗入れの1往復は『鳥海』に改称

田沢湖線電化開業、特急『たざわ』6往復新設
 従来の急行『たざわ』は廃止された 電化にあたってトンネル改修(一部は改築)や橋梁架け替えを伴う大工事であった
 電化開業により盛岡で新幹線から乗換えることで東京〜秋田間の最短時間コースとなり、後の秋田新幹線開業ルートに結びつく事になる

・長距離急行削減に伴い、キハ58系を使用した上野発DC急行は5→2往復に
 改正後も残ったのは常磐線の『ときわ』のうちの2往復で、水郡線に直通する車両を併結していたために残ったDC急行であった

・115系1000番台(1000番台は今回の計画分で増備終了)および415系500番台の追加増備により、53-10改正での東北線に続き高崎線・常磐線上野口普通列車が全面電車化、上野から客車普通列車が姿を消す
 上野口客車普通列車は高崎線に1往復、常磐線に3往復が残っていた

・東北線・高崎線普通列車は全列車が浦和停車に 同時に東北線普通列車は全列車が東鷲宮停車に

・上野駅鉄道郵便局が廃止、郵便車が上野駅から姿を消す 郵便車発着は上野から隅田川(貨)に移管

・宇都宮・高崎二区のEF58運用の大半がEF64-1000・EF65-1000に置き換えられる
 高崎二区のEF58は今改正で全車が定期運用離脱
 また、高崎二区EF15がEF60に置換えられ2両を除き消滅 吾妻線工臨の関係(軸重制限に起因するもの)で今改正での全廃は免れる

一部の急行列車に残っていた旧形客車・10系寝台車が全面的に12系・14系に置き換えられ、夜行急行列車の形式改善が完了

・『出羽』・『あけぼの』用24系24形B寝台車の2段寝台化改造開始(1982年12月〜)
 B寝台車全車が改造対象となったため改番はされていない 1983年2月までに全車が完了した

・上野駅新幹線工事の為12月1日より17・18番線を使用停止、翌1983(昭和58)年6月頃17番線、および7月1日の18番線工事完了に伴い使用再開 19番線が廃止に

・新幹線工事に伴い上野駅地平ホーム上に人工基盤を建設、工事開始

・常磐緩行線我孫子〜取手間延長開業(1982年11月15日、運行は朝夕のみ)
 開業に伴う車両補充で同線向けに203系が登場、57-11改正から運用開始
 また今改正で上野〜取手間の保安装置はATS-B・S併設からATS-Sに変更されている
基本的に東海道線東京口関係は前回の56-10改正で輸送改善済みであり、今回の東北・上越新幹線開業の影響を受けないため57-11改正では概ね変更なしであるが、今改正において下記の変更が生じている



・急行『東海』が153系から165系に置き換えられる(全国から153系が全廃)

・東京−小田原間に113系を使用した快速列車(1往復)が登場
 7+4の11連でサロは1両のみ 7連は伊東線用のもの

・田町区167系のうち1両が事故で使用不能となったため、代替で神領区で廃車予定だったクハ165-3が田町区に転属(1983年1月29日)
 田町区に転入後暫くの間は同区の隅の方に長期間留置され、転入前は長期間休車だったためか車体は色褪せ錆だらけであった









・中央線、特急『あずさ』に『とき』から転用された183系1000番台が登場 あずさ専用車は今回が初
 長野運転所に84両(12両×7本)が配属され、これにより同所が満杯となった関係でこれまで長野配置だった『しなの』用381系は今改正で全車が神領電車区に移管

・中央線急行『アルプス』に急行『信州』・『妙高』から転用された169系が大量に登場

・57-11改正以降中央快速線201系3本が順次中央総武緩行線に転属 オレンジ色のままで異彩を放つ(1983年7月までに黄色に統一された)

・改正で201系が青梅線でも運転開始、乗り入れは青梅まで




・房総急行の一斉特急格上げにより幕張区153系が消滅、同区165系は波動用に一部が残る
<その他>

東北・上越新幹線開業により並行在来線を走る特急が大幅に廃止され、これにより大量に捻出される485系・183系を有効に転用して全国主要線区における急行列車の格上げによる特急列車の大増発の他、一部は老朽化が進んでいた九州地区481系の取替えに充当し特急列車のアコモデーション改善も同時に行われた

57-11改正では夜行列車削減の他にも貨物列車の削減があり機関車が余剰となるが、直流機は旧形電機の淘汰によって車両数の調整が行われたが交流機は車齢の浅いカマが多く多数の保留車が発生した
 東北地区ではED71の淘汰が実施され全廃、ED75も夜行列車の整理で大量に余剰となるが一部はED71淘汰の補充(正確には夜行列車の削減でED75が余剰となりED71が淘汰された)のためにED75-700の一部に対し秋田→福島への転属が実施されている
 ED71は移り変わり運用で11月22日まで運用に入っていた

・EF80も『ゆうづる』の削減で一部が余剰となり初期形の一部に廃車が出る

・ディーゼル機関車は電気機関車ほどの大きな動きはなかったが、余剰となっているDE10を転用してDD13(特に初期形)の淘汰が進められた

・57-11改正で隅田川客貨車区にマニ44新製配置 東北線・上越線方面荷物列車に使用されていたマニ36の大半が淘汰される
 50系客車関連では引続き福島客貨車区に新製配置された他、今改正では郡山にも新たに配置され、奥羽本線や磐越西線で使用されていた旧型客車の淘汰が進められスハ33が消滅 57-11改正以降残ったスハ32系は郡山配置のスハフ32 4両を残すだけとなった

・東海道新幹線の1号車(自由席)および56-10改正より特急『とき』で試行していた特急列車の禁煙車(自由席1両)、今改正で九州の『みどり』を除く全特急列車(寝台列車を除く)に拡大
 『みどり』は4両編成で自由席が2両しかないため、対象から外された

・57-11改正では急行列車が一斉に特急格上げとなった線区が多く、停車駅が増えた上に事実上の料金値上げとなったため下記区間を対象に基本の特急料金よりも安い料金が設定され特急料金体系は2本立てに 現在のA特急料金とB特急料金である

 ・上野〜石打、万座・鹿沢口、前橋
 ・盛岡〜青森
 ・盛岡〜秋田 (田沢湖線経由)
 ・東京〜伊東、三島


・踊り子51号、14系客車にて運転開始(1982年12月31日)
 運転日によって牽引機がEF58とEF65PFの2通りがあり、特にEF58の場合61号機が入る事が多かった

・新幹線工事に伴い田端操の配線が変更されDD13のプッシュプル運転が登場(1983年1月5日)
 同工事に関連して東北貨物線と山手貨物線の合流点が田端操構内(山手貨物線中里トンネル付近)から現在の上中里駅付近地点に変更された事による暫定措置で、主に隅田川貨物駅から山手貨物線方向に向かう列車のみが対象であった

・962系を925系に改造(1983年1月18日)
 総合試験車化改造に併せて200系に似た配色(窓周りの緑色は200系よりも多少薄い)から黄色1号+緑14号帯に変更された

青函トンネル先進導坑が貫通(1983年1月27日)

・新幹線工事に伴い東北線上野〜東京間の連絡線(単線)が廃止 同区間通過列車は全て山手貨物線経由に変更される(1983年1月29日)
 廃止後間もなく新幹線工事の関係で秋葉原〜神田間で線路が剥がされ分断された(1991年6月20日に東北・上越東京開業)  それ以外の区間では長い間事実上の上野・東京発着列車の折返し留置線と化していたが、2008年より東北縦貫線プロジェクトとして工事が始まり、分断されていた前述の秋葉原〜神田間は新幹線の上を通る高架線が新規に建設され上野〜東京間は再び線路が繋がり、2015(平成27)年3月14日に上野東京ラインとして復活を果たした

中央快速線から103系が撤退(1983年3月3日)、101系は残る

EF58 60が廃車(1983年5月17日)、1983年4月1日運転の『ミステリー401号』が最終営業運転となり以降動向が注目されていた
 同年5月下旬に大宮工場に廃車回送されるが回送途中で秋田県沖地震に遭い大宮到着が数日遅れる

・急行『津軽』混雑緩和のため20系を使用していた『津軽』と14系座席車を使用していた急行『おが』との間で編成振替を実施(1983年7月1日)
 57-11改正で『津軽』は20系化されたが、以降混雑が激しくなり寝台車の一部を座席車として使用するなどして対処していた

中央東線岡谷−塩尻間短絡新線(塩嶺ルート)が開通、みどり湖駅開業(1983年7月5日)
 中央東線のみ(関連で飯田線も)ダイヤ改正を実施、特急『あずさ』など新ルート経由に変更 大幅な時間短縮が実現

・57-11改正後も残った仙台運転所のクロ481九州転属回送開始(1983年8月6日) トップはクロ481-3、牽引車は南福岡区485系6連を使用 この牽引車(6両編成)には元仙台のクハ481-217が連結されていた

・1983年7月より各種割引きっぷに対し『トクトクきっぷ』と命名 ラクダのキャラクターが使用される.

・『サロンエクスプレス東京』(1983年8月20日)および『サロンカーなにわ』(1983年9月24日)が相次いで落成、営業開始
 いずれも14系座席車の改造で『東京』はデビュー時は5連で、『なにわ』は6連でスタート いずれも後に改造車が追加で落成し7連化される 国鉄史上初の欧風列車となった
 デビュー前の試乗会は『東京』が8月16日、『なにわ』は9月15日

・中央線高尾−相模湖間で運転されていた101系7連による休日運転のいわゆる『相模湖臨』が廃止(1983年9月25日)
 シーズンにもよるが概ね5〜6往復が設定されていた

・東北線小金井〜石橋間に自治医大駅(1983年4月27日)、大宮〜東大宮間に土呂駅(1983年10月1日)がそれぞれ開業 開業当初より普電は全列車が停車

<各車両基地別列車編成表、車両配置表:列車 <当時の時刻表>
’83 小山電車区115系編成表  57-11改正 東北本線列車時刻表(上野発全列車) 
’83 新前橋電車区115系編成表  57-11改正 上野発着列車編成表  
57-11改正 上野口特急列車編成表(東北編)  57-11改正 東北新幹線時刻表 
’83 新前橋電車区165系・185系編成表   57-11改正 高崎線・上越線列車時刻表(上野発全列車) 
57-11改正 上野口特急列車編成表(高崎・信越編)  57-11改正 常磐線列車時刻表(上野発全列車) 
57-11改正 首都圏地区客車配置表   57-11改正〜59-2改正 東北485系・583系運用表  
57-11改正 首都圏地区電気機関車配置表   57-11改正〜59-2改正 信越189系・489系運用表 

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第3部 : 59-2改正
     53-10〜57-6改正   57-11改正   60-3改正

ダイヤ改正 東北線・高崎線・上/信越線・常磐線 中央線・東海道線・伊東線・横須賀/総武快速線
59-2改正

(1984年2月1日)
 鉄道の特性を生かせる都市間輸送・大都市圏内輸送については大幅な増強を行なった反面、輸送需要が減少している分野については思い切った合理化を追求した改正であった
 特に貨物列車は直行輸送に重点を置いたシステムに変換した大きな改正であった


・岡山・広島地区から大量の115系が小山・新前橋区に転入した事により東北線・高崎線普通列車は大宮以南の東北貨物線を利用して朝の通勤時間帯に小金井・籠原→赤羽行が1本ずつ増発され、また大宮止まりの一部列車(東北・高崎線とも各1本)も同じく東北貨物線経由で赤羽まで延長される 現在の湘南新宿ラインの礎となった
 また、夕方の通勤時間帯には上野→小金井・籠原間に各2本が増発された

 一方、常磐線では415系500番台の追加増備により日中の普電を増発した他、3往復が8連→12連に増強される 
 これに関連して165系・453系・455系を使用する普通列車の一部が近郊形電車に置き換えられ、東北線上野口から455系普電が消滅 57-11改正では455系普通列車は大宮→小金井間の下り1本(575M)が残されていた

・新前橋電車区に115系先頭車化改造車(クハ115-610)登場、上野口では唯一
 また新潟地区115系の編成短縮化に伴い、長岡運転所から小山・新前橋区にサハ115-1000が大量に転入し上野口115系(サハ115-1000)に冷房準備車が登場、併せて7両編成の中間に入っていたクハ115はサハ115に差し替えられ、クハ115の一部は岡山電車区に転出
 この結果、小山・新前橋区の中間クハ代用の7両編成は今改正で基本的に姿を消すがイレギュラーでは残る

・455系急行はオール9連化され、急行『ばんだい』の上野〜郡山間が廃止され磐越西線内の快速『ばんだい』となり、上野から急行『ばんだい』が消滅
 また、57-11改正で余剰となっていたサハ165の改造によりクハ455-500番台が登場、当初から座席の一部(4名分)がロングシート化された準セミクロス仕様であったが急行『まつしま』などにも充当される
 455系は急行列車の9連化に伴い21両(サロ455含む)が捻出された  同時に仙台口ローカル見直しによって417系3両も捻出され、合計24両(車両数に前述の改造クハ455を含む)を使用して東北線黒磯〜仙台間客車普通列車の一部が455系に置き換えられた

・『佐渡6号』で上野到着後の夜間滞泊を尾久から東大宮操に変更し、翌日の上野への送込み回送列車を営業運転に利用した大宮→上野間だけの普通列車が登場
 55-10改正で消滅していた新潟165系を使用した上野口普通列車が復活

・『おが』の編成変更 14系座席車10両→14系座席車6両+寝台車4両に

・宇都宮運転所配置EF65-1000全車が田端(一部は宮原)に転属

・常磐緩行線203系増備に伴う同線103系1000番台の快速転用により常磐快速線に103系1000番台および福知山線からの転入によりモハ102-2000番台が登場
 また、改正における編成変更・転配により常磐快速線103系に地下鉄色を含め混色編成が多数出現、また関西地区より多数の転入車が現れる この中にはサハ103-2のような関東復活組や今まで関西でしか見られなかった1972年増備分の第1次改良車も含まれていた
 常磐快速線103系は転入車の他に浦和区から2両、池袋区から2両の借入車も登場したためタイミングはズレたが一時的に地上5色+地下鉄色の計6色が見られる事になった
 地下鉄色は快速線転用後暫くの間は色替は実施されず1000番台MM'+エメグリ色クハという組み合わせで2編成が登場した
 203系増備に伴い余剰となった103系1000番台は常磐快速線転用の他に昭和59年10月1日に予定されていた奈良線・和歌山線電化開業用として105系500番台に改造されて転出、また1000番台が快速線に転入した関係で従来からの一般車16両(McM'TTc×4)が仙石線に転出 仙石線向けに転出した車両については途中郡山・盛岡工場に入場し耐寒改造が行われてから陸前原ノ町区に配属されたが、1979年に首都圏から転出した48両とは異なり同線の通票閉塞式が廃止(1983年10月)された後の配属だったため、先頭車乗務員扉次位の戸袋窓はそのままで登場した
 同時に転入車5両、在来車3両の冷房改造も平行して行なわれ、仙石線で初の冷房車が登場した

・山手線増発のため池袋区にモハ102-2000番台(MM'×2)が新製配置、これが103系最後の新製車となった 
 今回の増発分として1本が池袋区に配置されたが、前述の4両以外は全て転入によるもので当時の国鉄の財政難が反映されたものになった
 同時に非ATCタイプだったクハ103-811・818の2両にATC取付を実施し津田沼区→池袋区に転属 103系で非ATC車のATC改造(ATC準備工事車のATC取付のケースを除く)はこれが初で唯一
 東海道線では一部列車が整理された他は大きな動きはなく、老朽化が進んでいた113系サロ110(0番台)の置換えと荷物列車牽引機のEF62化が進められた程度である


・寝台特急『紀伊』廃止、併結相手の『出雲3・2号』は単独運転に

・品川区14系B寝台車2段化(1984年9月14日完了)
 改造は1983年11月13日よりB寝台車2〜3両を減車させる事から始まり、スハネフ14改造時には代替でスハフ14を組込んで(スハフは通路扱い)改造が進められた
 2段寝台化改造車の組込みは1983年12月15日の『さくら』から始まった

・寝台急行『銀河』、東京駅到着時刻大幅繰上げ

・老朽化したサロ110-0番台(サロ153からの改造車)取替用として東海道線113系サロ110に57-11改正で余剰となった165・181・489系からの改造車が登場(1983年4月より)
 特にサロ110-300・350番台は特急形電車の車体構造のままで異彩を放つ これら改造車は59-2改正時点では静岡運転所に集中して配置されていた

・御殿場線の115系が全面的に3両編成に短縮化 モハ115は全車がクモハ115に改造され、余剰となった奇数向きクハ115は大部分が越後線・弥彦線電化開業(1984年4月8日)用として新潟運転所に転出
 また、身延線用115系も4→3連化され余剰となったクハ115-2100番台は全車が同線電化開業用として新潟に転属 後のJR東日本エリア管内で唯一の115系2000番台となった




・五日市線から101系撤退、103系・201系に

・豊田区で余剰となり休車となっていた7両のサハ103が一斉に復活、全車が常磐快速線・山手線に転属となった 当初から59-2改正での復活を想定し休車をかけていたようである

・中央線高尾以遠の115系普電、一部が8→7連化  余剰となったサハ115 6両は全車がクハ115-600番台に改造され新前橋区・沼津区・広島運転所に転出

・総武快速線113系、関西からサハ111転入によりスカ色湘南色の混色が登場
荷物・貨物列車関係では貨物輸送システム転換により以下の変更が行われている

車扱貨物列車が大幅に削減されコンテナ列車が大増発(高速列車化・直行貨物列車の増発)
・コンテナ貨物増発のためC30系コンテナが登場

・車扱貨物列車の貨物ヤードにおける分解・仕分・集結機能は全面的に廃止され(ただし列車ごとの入換は残る)、貨物ヤードは全国的にそのほとんどが廃止される(首都圏では新鶴見操・大宮操などが廃止されたが武蔵野操など一部は残る)
 それに伴いDD13・DE10およびワム80000・ワラ1やワフ・ヨなどに大量の余剰車が発生、前述の廃止されたヤードに多数集結 2軸貨車が大量に廃車となったことにより高度経済成長期の時代から続いていた貨車のオーバー100、000両の歴史にピリオドが打たれた

・東京市場駅(築地市場内)および汐留(貨)〜東京市場駅間貨物線が廃止

・荷物列車については輸送量の少ない線区および駅について見直しが行われ、全国的に荷物取扱駅の廃止および列車縮小が行われる
 また、貨物列車の場合と同様高速化、締切輸送体制の強化が実施される

東海道線荷物列車からEF58が引退、信越線直通貨物全廃によって捻出されたEF62に置換え(1984年3月29日)
 東海道線の荷物列車については伝統的に蒸気暖房が残されEF58にはSG使用機が残っていたが、荷物客車の新形化およびEF62化に伴い電暖化された
 これにより首都圏で見られるEF58は原則として東京機関区のEF58 61および宇都宮運転所所属機のみとなる
<その他>

 59-2改正では貨物ヤードの廃止や車扱貨物列車の大幅削減に伴い全国的な機関車基地の大幅整理も行なわれた
 首都圏関連では内郷・大宮・立川の各機関区が廃止となった

・1983年9月より廃車となった2軸貨車(主にワム80000・ワラ1)の販売を開始 足回りは撤去し箱状態にて販売される

・首都圏103系に105系タイプのドアに交換された車両が登場(1983年11月頃〜) Hゴムのないスッキリとした外観が特徴

・京浜東北・根岸線(蒲田〜大船間)は1984年1月29日より、赤羽線(池袋〜赤羽間)は1984年11月1日にそれぞれATC化が完成、使用開始
 今回は第2期工事分で、これで予定された区間の全線がATC化された
 赤羽線池袋〜板橋間については貨物列車が乗り入れる関係(板橋駅構内にコンクリート工場があった)でATCバックアップ方式を採用

・赤羽駅改築工事第1期分が完成、赤羽線ホームのみ高架化される(1983年3月2日、新5番線のみ使用)
 元々赤羽線ホームは1面1線であり、今まで赤羽線用だった旧5番線(新5番線の真下、現在の7番線の真下に当たる)は東北貨物線用に転用され7番線に改称、59-2改正から降車のみだが旅客営業が始まる 東北貨物線は引続き赤羽駅構内だけ単線であった
 当時の赤羽駅新5・6番線(当時6番線は未着工、埼京線開業時に完成)は現在の7・8番線のことである

赤羽線、輸送力増強のため8→10連化、103系10両(MM'×5)を追加増備(1983年10月2日)
 同時に池袋駅においても赤羽線専用ホーム(1・2番線、現3・4番線)が完成、使用開始(当初は山手貨物線とは接続されておらず完全に赤羽線専用ホームであった)
 これまで池袋駅の赤羽線ホームは赤羽駅の場合と同じく1面1線しか割り当てられておらず山手線外回りの始発用ホーム(現・8番線)と共用していたが、今回の輸送力増強の一環として赤羽線赤羽〜板橋間の配線を変更し池袋駅では新・赤羽線ホームが新設されて移動した  新・赤羽線ホームは主に1番線が使用された
 これら一連の赤羽線プロジェクトはもちろん当時工事が行われていた通勤新線(現・埼京線)開業を見越しての先行改良であった

・1985年開催のつくば万博対応で常磐線普電の新塗装化開始 新塗装のトップは401系K23、新塗装車の郡山工場出場は1983年8月4日、運用開始は翌日の8月5日
 60-3改正までに勝田電車区の近郊形電車248両を対象に色替が実施され、移行期間中は大部分の列車に混色が発生

常磐線415系にサハ411が登場、同時に415系100番台最終増備車8両(サハ411-1〜4を含む)も登場(1984年3月)
 これにより60-3改正までの期間限定でサハ411 2両を組み込んだ8連固定編成2本が出現、4号車の位置に組込まれたサハ411-1・3の2両はMG・CP取付準備工事車(60-3改正までにMG・CP取付)であった
 今回増備の415系100番台は同500番台並みに仕様が変更されたが415系100番台はこれが最終増備となる
  415系は今改正分の増備車より全て新塗装で登場

・特別保全工事、大宮工場出場車からも室内配色変更車が登場 トップは小山区のサハ115-22

・山手線の103系910番台(超多段式高性能主制御器CS30試作車)に冷改車が登場

・国鉄の旅行商品宣伝用のキャッチコピーが1978年11月から続いた『いい日旅立ち』から『エキゾチックジャパン』に変更(1984年2月1日〜)

・相模線支線(寒川−西寒川)が廃止(1984年4月1日) 末期は4往復のみの運転であった

・1984年4月21日の運賃改定より普通乗車券が幹線・国電区間・地方交通線の3本立てに 幹線・地方交通線は値上げ、国電区間は据え置き
 地方交通線は幹線よりもさらに約10%値段が高くなる この関係で運賃計算上では営業キロの他に換算キロ・運賃計算キロが登場

・上野−東大宮操間の特急電車回送を利用した『ホームライナー大宮』が登場(1984年6月1日) 普通列車としては初の定員制列車で乗車整理券(300円)が必要
 夕方の通勤時間帯に下り列車のみ設定され、乗車整理券を購入すれば確実に座れる列車として人気が出る 以後全国の国鉄主要線区に拡大された

・東海道線113系、東北線・高崎線115系など関東周辺線区の普通列車に禁煙車設定(1984年7月1日) 今までは国電区間以外では路線ごとに禁煙区間・駅ごとに禁煙タイムが設定されていただけであった
 特に上野口115系・415系では偶数向きクハ全車が対象となったため12〜15連では禁煙車は3両となった

・『さくら』・『みずほ』にB寝台4人用個室『カルテット』(オハネ14 700番台)が営業開始(1984年7月20日)

・越後線・弥彦線電化開業(1984年4月8日) 同線向けに広島・岡山・沼津・松本から115系がかき集められるが、予備車がほとんどないようなギリギリの両数であった
 配置は新潟運転所で、長岡運転所所属の上越線・信越線用115系とは運用がハッキリ分かれていた

・1984年7月27実施の敦賀第二機関区一般公開、同9月30日実施の国府津運転所EF5861撮影会、同10月10日実施の金沢運転所一般公開実施を皮切りに以後全国各地でファン向けの国鉄イベントが多数実施される

・1984年10月14日より『ゆうづる』・『あけぼの』にヘッドマークが復活 これがきっかけで60-3改正で全国の寝台列車にヘッドマークが復活することになった

・高崎線鴻巣〜吹上間に北鴻巣駅開業(1984年11月3日) 芸能人を呼んだイベントが実施された

<各車両基地別列車編成表、車両配置表:列車 <当時の時刻表>
’84 小山電車区115系編成表   59-2改正 上野発着列車編成表  
’84 新前橋電車区115系編成表   59-2改正 東北本線列車時刻表(上野発全列車)  
’84 勝田電車区415系編成表  

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第4部 : 60-3改正
     53-10〜57-6改正   57-11改正   59-2改正

ダイヤ改正 東北線・高崎線・上/信越線・常磐線 中央線・東海道線・伊東線・横須賀/総武快速線
60-3改正

(1985年3月14日)
 東北・上越新幹線大宮〜上野間開業(3月14日)
 57-11改正を大幅に上回る全国白紙改正であり、一部文字マークで残っていた485系ボンネット車および気動車特急が絵入りヘッドマークに変更され、全ての特急列車のヘッドマークが絵入りとなった
 また、急行の大部分が特急に格上げとなり、全国的に急行列車が大幅に削減された改正であった


東北新幹線『やまびこ』の最高速度が210km/h→240km/hへ
 それ以外の東北新幹線と上越新幹線は210km/hのまま据え置き

・新幹線上野開業に伴い上野−大宮間の『新幹線リレー号』は全列車が運転終了、余剰となった新前橋区185系200番台は田町区183系置換え用(『あずさ』増発用に転出)として28両が田町区へ転属し残りは新特急『なすの』に充当される

・『まつしま』廃止・『ときわ』消滅により453・455系の上野乗り入れが終了

EF15・58が事実上引退、EF60・EF64-1000・EF65-1000に置換えが完了

・急行列車は『妙高』・『八甲田』等を除いてほとんどが廃止、また一部は特急格上げにより特急列車が大増発される
 また東北線・高崎線に急行の特急格上げにより185系200番台を使用した『新特急』が登場 停車駅は従来の急行並み

・『やまばと』は『つばさ』に統合され消滅したが、上野発の『つばさ』は1往復が残った
 東北線上野口の485系特急は『つばさ』・『あいづ』の2往復のみとなるが、急行『なすの』の特急格上げにより185系200番台使用の『新特急なすの』(9往復)が設定された

 また常磐線では急行『ときわ』の特急格上げにより『ひたち』は12往復→下り24本・上り23本とほぼ倍増となった 『ひたち』は12連→11連に短縮されたが、九州からボンネットクハ481が大量に転入し先頭車はボンネット車に統一され、受持ちも仙台運転所から勝田電車区に移管された
 大部分が九州タイプのカラーリングのままで勝田に転入してきたが、この中にはクハ481-19・20・22など57-11改正で仙台から九州に転出した車両の上野口復活組が含まれていた

・『あさま』・『そよかぜ』に489系が、急行『妙高』に169系が復活

・115系の大量転入(詳細は下記)および415系500番台の追加増備により東北線・高崎線・常磐線普電が大増発 東北・高崎線は日中30分→20分ヘッド、常磐線は40〜60分→30分ヘッドに このため日中の普通列車編成両数は115系は11→7〜8連に、415系は8・12連→7〜8連に短縮される
 小山区・新前橋区115系に三鷹区からスカ色のサハ115が大量転入、上野口115系に湘南色スカ色の混色編成が大量に出現
 また、59-2改正に続いて今度は松本運転所から115系1000番台の転入により新前橋電車区115系にモハ115・114-1000の冷房準備車が登場、さらに新前橋区のクモハ115を含む3連が新たにサハ115を組込んで4連化され高崎線上野口に大量出現

・常磐線普電、上野〜土浦間において最大15連化 東北・高崎線115系並みになる 15連化対応で415系700番台登場、500番台追加増備 415系白電最後の新製車となった(最初の15連化は60-3改正を待たず1985年1月17日より)

 また15連化関連でクハ401-51にMG・CPを取付けた上で方転(奇数→偶数向き)を実施、方転改造は415系列では唯一 同時に冷房付偶数向きクハ不足の補充で非冷房のクハ401 4両にMG・CPが取付けられ7両編成側に組込まれるが非冷房のまま改造され、改正後に改めて冷房改造が実施される

 これにより常磐線の415系は7両編成は全てセミクロス車で統一されたが4両編成はセミクロス車とロングシート車の2本立てとなり、同時に常磐線普電の新塗装化が完了 赤電が姿を消す 最後まで赤電で残ったのは415系K59

・415系15連化対応で土浦に車両基地(電留線)を新設

・小山区・新前橋区115系を上野口運用に優先させるため日光線の一部および両毛線・吾妻線などの大半の列車が165系化される
・上記の理由により上野口普電が全面近郊形化(185系使用の高崎線1往復を除く)
 165系・453系普電は改造・転用の関係で改正を待たずに2月後半あたりから順次115系・415系に置き換えられる

・常磐線、茨城県での科学万博開催のため臨時快速列車『エキスポライナー』大増発(1985年3月17日〜9月16日)
 車両不足のため電車・客車・気動車など全国から常磐線に向けて車両が大量に貸し出される 向日町運転所から借り受けた583系10連(サロネ581含む)は特に目立つ存在であった

・富山・酒田機関区から田端機関区に大量のEF81が転入しEF80を置換え、常磐線EF80定期運用終了 EF80は改正以降車検が切れるまでつくば万博関連臨時列車(エキスポライナー等)に充当されるのみとなる

・東北線宇都宮〜黒磯間、高崎線高崎以遠など東京から100km圏以上の全国各線において普通列車の一部に試行列車(通称α列車)を設定 61-3改正までの期間限定で実施
 56-10改正以来の大きな改正であった 東京口では中央快速線の全面201系化や『踊り子』の185系化など、改正に合わせて車種統一も図られた


・東海道新幹線、5-5ダイヤから6-4ダイヤへ移行
 今改正で『ひかり』主体のダイヤ編成に改められた

・東京機関区車両無配置化、EF58 61・EF65-1000等は新鶴見に転属

・EF58 61大宮工場から全検出場(1985年2月18日)  スタイルが若干変わる

『はやぶさ』にロビーカーが連結開始 ロビーカー(オハ24 700番台)はB寝台車からの差し替えではなく増結の形で行なわれ、EF65-1000のままでは牽引定数オーバーとなる関係で東海道線東京口のブルトレ牽引機は『瀬戸』・『銀河』を除いて全てEF66に変更される
 オハ24はオハネ24・オシ24からの改造で賄われた

・『銀河』、20系→14系寝台車に置換え

踊り子が全面185系化、田町区183系は中央東線急行の特急格上げによる『あずさ』大増発のため松本運転所に転出 この改正により185系はA・B・C編成の3本立てに
 これにより御召列車の牽引車も185系となりクロ157は185系に合わせた塗装変更が実施される

・急行ごてんば廃止、16連が解消 今改正で167系は波動用に特化

東海道線113系に115・165系からの改造車が登場 サハ111-300番台は元三鷹区サハ115-300の改造、またサロ165から改造のサロ110-401はサロ112以来の2連窓仕様車



中央快速線201系化完了、101系が姿を消す

・中央東線新宿口115系は全列車が3または6連化、捻出されたサハ115は大部分が小山・新前橋区に転出

山手線で205系が運転開始(1985年3月25日) 営業開始に先立ち1985年2月から山手線において訓練運転が始まる
 量産先行車(40両)各編成の営業開始は以下の通り(全て1985年)
1:4月22日、2:4月1日、3:3月26日、4:3月25日
 以上の量産先行車営業開始に伴い103系40両が捻出され、順次横浜線・武蔵野線用として蒲田・豊田区へ転出
 また、山手線205系(第5編成以降)が運用に入った段階で品川区103系が埼京線(川越電車区)に転出開始 川越電車区がまだ開業準備段階だったため一部は基地外留置の措置がとられ東大宮操に留置
 1985年9月までに山手線に205系160両が追加増備されたが、この160両は埼京線開業用名義で投入されたものである



・房総特急は一部列車が6連化、また一部列車はサロなしの9連となり中間にクハ183を連結 クハ183の貫通扉が本格的に使用開始される


・武蔵野線、首都圏各線からから転入してきた103系(一部は借入車)により101系(1000番台)の取替がスタート
 一時期武蔵野線内で5色全てが揃うなど103系の混色編成が大量発生
 武蔵野線用の101系1000番台は初期形からの改造車が多く、101系の中でも特に古い車両が集中的に残っていた
荷物・貨物列車関係では以下の変更が実施されている

・59-2改正に続いてコンテナ貨物(高速貨A)を増発、東海道線で1200t列車登場、貨物取扱い駅の大幅削減
・東海道線貨物列車の一部がEF66→EF65-1000に変更
・東海道貨物線汐留(貨)〜芝浦埠頭間廃止(1985年2月28日)
・東北線・高崎/上越線荷物列車牽引機、EF58→EF64-1000に変更
・身延線で荷物輸送が廃止となり余剰となったクモユニ143(4両全車)が長岡に転属 同時に長野からクモニ143 2両が転入しクモニ83を置換える
 クモユニ143の一部はワイン色のまま高崎線・上越線を走る姿が見られた
<その他>

・東北線急行『まつしま』・常磐線急行『ときわ』等の全廃により余剰となった451・453・455系を転用して東北線黒磯〜一ノ関間、常磐線水戸〜仙台間の普通列車が全面電車化される(但し周辺のローカル線からの流れ込みを除く)  同区間から旧形客車が一斉に姿を消す
 同時に普通列車電車化用として59-2改正で余剰となった向日町運転所583系を改造した715系1000番台(配置は仙台)も登場 東北線黒磯〜一ノ関間で営業運転開始
 これにより普通列車の大増発も実施され、改正前は60〜180分ヘッドだった東北線郡山〜小牛田間が30〜60分ヘッドに、黒磯〜郡山間・小牛田〜一ノ関間および常磐線平〜仙台間がほぼ60分ヘッドに
 455系の普通列車転用に際し大量に不足するクハ455については名古屋地区からクハ165が大量に捻出され455系に改造された他は新前橋区で余剰となった165系・169系のクモハ・クハおよびサロ165からの改造で賄われた 因みに名古屋地区(大垣電車区)から転用されたクハ165の中には元関西新快速色の車両が含まれていた
 また常磐線水戸〜仙台間の普通列車用に転用された451・453系は485系の仙台→勝田移管に合わせ、勝田→仙台に移管された
 それ以外の東北線一ノ関以北や奥羽本線には客車普通列車が残ったが50系や60-3改正で新たに登場した12系2000番台に統一され、ここでも旧型客車が姿を消す

上野駅新幹線工事完了
 地平ホーム(13〜18番線)上に人口基盤が完成、駅構内商業スペースが拡張される(現・エキュート上野)
 同時に中央改札口上に掲示されていた木製の列車出発案内板がLED化、同時に各ホーム(1〜4番線を除く)階段入口付近にあった字幕式案内表示もLED化される
 また各ホームに音声自動案内放送装置が導入された

・仙石線から72系(アコモ改造車)が引退 
  前回の59-2改正で常磐快速線から捻出された103系16両によって置換えられた 1984年6月20日より103系への置換えが始まり、1984年7月・8月・11月に1編成ずつ離脱し最後の1本が60-3改正前日まで運用に入っていた

・常磐線牛久〜荒川沖間に万博中央駅開業(1985年3月14日〜1985年9月16日)
 つくば科学万博開催期間中のみの営業(万博は3月17日より)で、対向式2面2線  万博終了後は更地になっていたが同駅跡地を利用して1998年3月14日にひたち野うしく駅が開業した

・武蔵野線吉川〜三郷間に新三郷駅開業(1985年3月14日)
 武蔵野操の中間に開設されたため全国でも珍しい上下線分離駅となった 上りホームと下りホームは約300m離れている
 さすがに不便だったらしく、武蔵野操は61-11改正で廃止されたのに伴ない跡地の再開発を見越して1999(平成11)年3月に上り線ホーム(南浦和方面)が下り線(新松戸方面)側に移転統合、同時に橋上駅化された  武蔵野操自体は既に59-2改正で操車場機能は停止されていたが、一部列車の発着は61-11改正まで残っていた
 2000年代半ば頃より本格的な再開発が行なわれ、2009年に『ららぽーと新三郷』・『IKEA新三郷』を中心とする商業施設が開業した

青函トンネル本坑貫通(1985年3月10日)、国鉄時代には間に合わなかったが民営化後の1988(昭和63)年3月13日に開業

・EF60 501が特急色へ変更(高崎第二機関区にて施工)、つくば万博御召運転(1985年4月)の関係でEF81 81が御召機に指定される

・1985年9月より仙台運転所455系の新塗装化が開始、新塗装車のトップは455系S31(当時のTc車はクハ455-1) 715系とは異なりクリーム10号がベースだが塗りわけは715系に揃えられている
 451・453系は交直流急行色のままで色替の対象から外された

東海道新幹線に100系(試作車)登場、2階建て車両導入は新幹線史上初(営業運転開始は1985年10月)
 100系登場に伴い、1964年より続いた0系の新製は1985年度発注の44両をもって終了へ

・常磐緩行線203系大量追加増備により59-2改正時に続いて103系1000番台が常磐快速線に転用され、ついに1000番台にエメグリ色が登場 一部は冷改・特別保全工事が併施され、A-A基準は解除される
 103系1000番台の常磐快速線への進出に伴ないクモハ103を始めとする同線103系が捻出され、武蔵野線に転出開始 武蔵野線の103系置換えが始まった

・57-11改正に続いて60-3改正においても急行列車が一斉に特急格上げとなった線区が多く、57-11改正で東北・首都圏地区で採用された特定料金区間が全国に拡大された
 今回新規に追加となったのは奥羽線・羽越線・房総地区・紀勢線・九州地区である

埼京線大宮〜武蔵浦和〜赤羽間開業(1985年9月30日)、赤羽線(池袋〜赤羽間)が便宜上埼京線と同一化、同時に川越線(大宮〜高麗川間)が電化開業 川越線大宮〜日進間複線化
 この3線区がドッキングし池袋〜川越間において103系10連直通運転開始、川越電車区が開設
 川越線内の列車については103系3000番台3連を使用 103系3000番台は60-3改正までに運用離脱した仙石線のモハ72系アコモ車を転用改造したものである

 埼京線向けに山手線・赤羽線から転用されたウグイス色103系は210両が用意され、このうちこれまで黄色だった元・赤羽線用の103系(50両、山手線との共通予備車を含む)は埼京線開業までに全車ウグイス色に変更された
 赤羽駅赤羽線ホームはそのまま埼京線ホームに転用され新たに6番線(現・8番線)が工事完成、使用開始
 埼京線からの宮原乗り入れが計画されるが実現せずに終わる

・埼京線開業に併せて武蔵野線南浦和〜西浦和間に武蔵浦和駅開業(1985年9月30日)

・国鉄提供テレビ朝日の鉄道情報番組『みどりの窓口』(平日7:30〜7:45(時期により放送時間に変動あり)、土曜6:45〜7:00 関東ローカル)が終了(1985年3月29日)、1985年4月より番組はそのままテレビ東京『レール7』へ継承
 このテレビ朝日の『みどりの窓口』であるが指定席発売状況のコーナー(平日のみ)で用いるBGMに特徴があり、1980年はYMOの『テクノポリス』、遡って1978〜1979年ではバリーホワイト & ラヴ・アンリミテッド・オーケストラの『メイキング・ビリーヴ(Makin' Believe That It's You) 』が採用されていた

’85 上野口115系編成表(小山・新前橋)  60-3改正 上野口485系・583系運用表 
’85 常磐線415系編成表   60-3改正 信越489系運用表  
東北・上越新幹線200系編成表(上野開業時)   
’85 埼京線開業・川越線電化 103系編成表  


順次、UPしていきます・・・

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