東北・上越新幹線200系編成表(大宮開業時)

東北・上越新幹線大宮開業時点での200系編成表です。
全て12両編成で統一され、原則として57-11改正(上越新幹線開業時)以降は東北・上越共通運用となっています。
開業当時の最高速度は210km/hでした。




  号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 新製配置 製造所 落 成 記 事
年次 編成番号 221
Mc
226
M'
225
M
226
M'
225400
M
226
M'
215
Ms
226
M'
237
MB
226
M'
225
M
222
Mc'
1次車 E1 1 1 1 2 401 3 1 4 1 5 2 1 仙台 日車 55.10.31  
E2 2 6 3 7 402 8 2 9 2 10 4 2 新潟 川重 右記 1〜8号車:55.11.-5
9〜12号車:55.11.14
E3 3 13 6 14 403 15 3 11 3 12 5 3 新潟 近車・日立 55.11.17 1〜6号車:近車
7〜12号車:日立
E4 4 16 7 17 404 18 4 19 4 20 8 4 仙台 東急 55.11.26  
2次車 E5 5 21 9 22 405 23 5 24 5 25 10 5 仙台 日車 56. 2.-7  
E6 6 26 11 27 406 28 6 29 6 30 12 6 仙台 川重 56. 1.13  
E7 7 31 13 32 407 33 7 34 7 35 14 7 仙台 日立 56. 2.20  
E8 8 36 15 37 408 38 8 39 8 40 16 8 仙台 近車 56. 3.11  
E9 9 41 17 42 409 43 9 44 9 45 18 9 仙台 東急 56. 3.18  
3次車 E10 10 46 19 47 410 48 10 49 10 50 20 10 仙台 日車 56. 8.20  
E11 11 51 21 52 411 53 11 54 11 55 22 11 仙台 日車 56. 9.17  
E12 12 56 23 57 412 58 12 59 12 60 24 12 仙台 日車 56.10.16  
E13 13 61 25 62 413 63 13 64 13 65 26 13 仙台 川重 56. 8.25  
E14 14 66 27 67 414 68 14 69 14 70 28 14 新潟 川重 56. 9.-9  
E15 15 71 29 72 415 73 15 74 15 75 30 15 仙台 川重 56.10.30  
E16 16 76 31 77 416 78 16 79 16 80 32 16 新潟 日立 56. 8.14  
E17 17 81 33 82 417 83 17 84 17 85 34 17 新潟 日立 56. 8.12  
E18 18 86 35 87 418 88 18 89 18 90 36 18 新潟 日立 56.10.23  
E19 19 91 37 92 419 93 19 94 19 95 38 19 仙台 近車 56. 9.-1  
E20 20 96 39 97 420 98 20 99 20 100 40 20 仙台 近車 56.10.-9  
E21 21 101 41 102 421 103 21 104 21 105 42 21 仙台 東急 56. 8.29  
E22 22 106 43 107 422 108 22 109 22 110 44 22 仙台 東急 56. 9.25  
4次車 E23 23 111 45 112 423 113 23 114 23 115 46 23 仙台 日車 56.12.19  
E24 24 116 47 117 424 118 24 119 24 120 48 24 仙台 川重 56.12.-4  
E25 25 121 49 122 425 123 25 124 25 125 50 25 新潟 川重 57. 2.18  
E26 26 126 51 127 426 128 26 129 26 130 52 26 新潟 日立 57. 1.19  
E27 27 131 53 132 427 133 27 134 27 135 54 27 新潟 近車 56.12.-2  
E28 28 136 55 137 428 138 28 139 28 140 56 28 新潟 東急 57. 2.-4  
E29 29 141 57 142 429 143 29 144 29 145 58 29 新潟 東急 57. 3.-3  
5次車 E30 30 146 59 147 430 148 30 149 30 150 60 30 新潟 日車 57. 3.30  
E31 31 151 61 152 431 153 31 154 31 155 62 31 新潟 日車 57. 5.14  
E32 32 156 63 157 432 158 32 159 32 160 64 32 新潟 川重 57. 6.-2  
E33 33 161 65 162 433 163 33 164 33 165 66 33 新潟 川重 57. 8.11  
E34 34 166 67 167 434 168 34 169 34 170 68 34 仙台 日立 57. 7.-7  
E35 35 171 69 172 435 173 35 174 35 175 70 35 仙台 近車 57. 3.16  
E36 36 176 71 177 436 178 36 179 36 180 72 36 仙台 東急 57. 6.15  

※ 225形400番台(5号車):車販準備室および多目的室付き
   237形(9号車):半室ビュッフェ車
   200系の内装は各車両で異なっており奇数号車はオレンジ系、偶数号車はグリーン系、グリーン車は茶色系の配色でまとめられていた。


<東北・上越新幹線開業時の200系あれこれ および新幹線開業前後の状況>

1.1次車の4本は200系登場の第1陣で仙台と新潟に2本ずつ配置され、昭和55年度冬季の降雪時走行試験(仙台〜盛岡、長岡〜新潟間)に使用された。
  因みに昭和54年12月から200系試作車である925系S1および962系(昭和58年925系S2に改造)を使用した降雪時走行試験が仙台〜北上間で実施されている。

  1次車は200系生産立上げの意味があるのか国鉄電車指定メーカ5社で分担して製造されたが、落成は4本なのでE3は近車・日立混成となった。この関係でE3は他の編成とは異なり、M・M'がそれぞれ番号順の組成になっていない(東海道新幹線開業時の0系にも似たようなケースがある)。

2.小山試験線(現在の宇都宮線久喜駅付近〜石橋駅付近)は昭和53年に完成し961系を使用した試験が開始されている。
  各種試験終了に伴い昭和55年に試験線としての役目は終了し、新幹線工事の進捗に伴いこの区間は東北新幹線の一部に編入されたが、先行して完成したこの区間(特に久喜駅付近から小山駅付近)だけは防音壁が他の区間よりも高く造られており、列車乗車中着席した状態では外の景色が見えにくくなっている。

3.新幹線開業に向けた訓練運転は昭和56年8月から仙台〜盛岡間、長岡〜新潟間にて開始され、翌57年3月からは工事が完成した東北新幹線全線にて訓練運転が始まった。
  上越新幹線では全線の工事が完成した昭和57年7月から訓練運転が開始されている。

4.一番工事の遅れた大宮〜上野間は東北新幹線開業時点ではやっと一部区間にて高架線の基礎工事が始まったに過ぎず、大宮駅南方数10m地点で高架線が行き止まりになっている状況であった。
 大宮以南の工事が大幅に遅れた理由であるが、大宮駅南部〜今の赤羽台トンネル付近の区間は住宅密集地を避ける理由でトンネルで結ぶ計画だったが、この地域は関東ローム層による地盤が比較的軟弱な地域でもあり途中で高架線に変更となった。
 高架線に変更となったことで当初から新幹線建設に反対していた沿線住民からの反対運動がさらに激化したが、国鉄の努力により条件付賛成を得て予定より大幅に遅れて工事が開始された。
 その条件付賛成とは新幹線高架に沿って通勤電車を走らせるというもので、これが現在の埼京線である(参考までに新幹線に平行して走る埼京線は保安装置にATCが採用されている。これは当初より運転本数が多く見込まれていたからであるが、平行区間において新幹線ATCとの電波干渉が予想されたためATS-Bが採用できずATCを採用したという説もある)。

 参考までに、前述の埼京線の場合と同じく新幹線建設反対運動の見返りとして大宮以北にも通勤線を走らせることになったが、こちらは埼京線のような高速鉄道規格で運営するほどの需要が見込まれなかったので中小規模の新交通システムが採用された。これが1983(昭和58)年12月に開業した埼玉新都市交通(ニューシャトル)である。


← 画像はJR大宮工場内に設置されている新幹線高架線の橋脚の銘板である。

 着工は1977(昭和52)年であるが竣工は1981(昭和56)年6月であり、新幹線開業はちょうど1年後の1982(昭和57)年6月なのでかなりの突貫工事ではなかったかと思われる。








また、大宮以南の難工事として赤羽台トンネルが知られているところだが、ここはトンネルを掘るというよりも線路部分だけそっくり山ごとくり抜くいわゆる開削工法がとられ、トンネルの上に当たる部分(私立高校がある)は完成後改めて整地する方式が採られている。
 新幹線上野駅も難工事だった所で、地下駅建設中の期間中は在来線17〜19番線ホームの直下をもろくり抜く工事であったため、ホームと線路を下から鉄の枠組みで仮受けしながらの工事であった。

 在来線の大宮機関区検修庫の解体が昭和57年秋から始まり、大宮以南の高架線らしき構造物がやっと形になりだしたのは上越新幹線開業から1年経過した昭和58年秋頃以降である。以降は突貫工事により急速に工事が進んでいき、昭和60年3月14日に実施された60-3改正で東北・上越新幹線上野開業を迎えるのである。



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