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60-3改正で上野口115系にスカ色が多数出現しました。
中央東線で115系が3・6連に短縮されたために余剰となったサハ115が小山電車区・新前橋電車区に大量に転入し、ほとんどがスカ色のままで走り始めました。
その後徐々に入場を開始して湘南色へ改められていきましたが、全車が湘南色になるのに1年半くらいはかかったと思います。
また時を同じくして新前橋区では高崎ローカル用スカ色115系3連が同区7連に組み込まれて上野に姿を現した他、翌年の1986年には今度は小山区から三鷹電車区へ転出予定のY308・309(MM’×2)が転出を前に早くもスカ色に色替され、短期間ではありましたが東北線・高崎線を走行しました。 |
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新前橋区の185系ですが、60-3改正での新幹線リレー号廃止により4本が田町電車区に転属しました。
ですが、そのうち1本(S231・232)は検査周期の関係で60-3改正を待たずに踊り子色に改められ、60-3改正までの短い間新幹線リレー号や谷川・白根の運用に入って異彩を放っていました。
1本のみの在籍なので14連を組むとどうしても混色になります。 |
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1973年の開業以来101系が使われていた武蔵野線ですが、60-3改正からは首都圏各線から転入してきた103系への置換えが始まりました。
松戸電車区において常磐緩行線203系投入によって103系1000番台が常磐快速線に転用され、快速線の103系一般形が豊田電車区に多数転入し一時期武蔵野線はエメグリ103系が多数派になるという珍事が発生しました。 |
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こちらはオールエメグリの武蔵野線です。
非冷房車が優先的に転入しています。
オレンジ色の103系以外は誤乗防止用のステッカーを掲出しています。 |
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横浜線の一部を担当していた東神奈川電車区が1981年6月に蒲田電車区に統合され、この影響で京浜東北線にウグイス色の混色が登場しました。
京浜東北線のウグイス色は全部で7〜8両くらいありましたが、57-11改正頃までに全車がブルーに変更されました。
田端〜品川間において山手線との誤乗を避けるためか混色消滅が意外と早かったです。
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60-3改正で京浜東北線から6両が武蔵野線に転出することになり、そのうちクハ103-605が転出を前にオレンジ色に変更されました。
京浜東北線のオレンジ色混色は青梅線に多数が転出した1978年頃以来の出来事と思われます。
また、60-3改正で常磐快速線から4両(MM’×2)の103系が蒲田区に転属し(この4両はその前の59-2改正で淀川電車区(大阪環状線)から松戸区に転属)、短期間でしたが改正で京浜東北線に再びオレンジ色の混色が発生しています。この時は4両全部が1本の編成に入りました。 |
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今度は61-11改正がらみで京浜東北線に60-3改正以降3回目のオレンジ色混色が発生しました。
民営化を控えて関東〜関西間で103系の車種調整が実施され京浜東北線の低運クハ・クモハが関西地区各線に多数が転属となり、逆に関西地区からMM'Tが浦和電車区に転入し一時期京浜東北線の103系は『天ヒネ』『大アカ』標記車が多数現れ青22号単色ながら大変賑やかなものになりました。
一方で豊田区からオレンジ色3両が浦和区に転入してきましたがこちらは暫くオレンジ色のまま京浜東北線を走りました。 |
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59-2改正で宮原電車区(福知山線)から2両の103系が転入し、黄色のまま常磐快速線を走りました。 |
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黄色混色の様子です。
マト5編成に組み込まれましたが、この編成には阪和線から転入の青22号1両、大阪環状線から転入のオレンジ色2両がまともに1編成内に収まり、4色混色編成となり話題となりました。
画像左のエメグリ車は当初青22号だったサハ103-2で既に色替が完了しています。 |
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豊田・中原電車区からもオレンジ色が転入しています。
中原区からの転入車は中央快速線時代のオレンジ色のまま南武線を走っていた車両で、黄色に色替される前に常磐線に転入しました。 |
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最後は常磐線で多数派だった103系1000番台の混色です。
59-2改正以降常磐快速線に転入しましたが、中間車8両は1000番台という編成が2本あり、両端の一般形クハには1000番台併結用ということで車番の下にアンダーラインが引かれました。
60-3改正以降1000番台の転入が本格化し、以降入場の際に一般形との併結改造や冷改が行われてエメグリに変更されました。 |