国鉄時代の上野口115系

さて、今回は国鉄当時の上野口115系をいろいろ並べてみました。
この頃東北線・高崎線普通列車は115系の天下でうんざりするほど走っており、当時は今でいう所のE231系を撮影するような気分で記録していました。

ここでは籠原電車区での形式写真が多数出てきますが、現在では基地全周にわたりフェンスが張られたためこの画像のようなアングルでの撮影は出来ませんのでご注意ください。



東北新幹線開業前に撮影した小山区Y322です。

61-3改正で新前橋区に211系が新製配置され同区115系1000番台が小山区に転入し、捻出した小山区115系0・300番台が広島地区に転出していきました。その中に画像のY322が含まれていました。
115系0番台非冷房車は小山・新前橋とも多数が在籍していました。

前述のように211系が配置され115系0番台非冷房車が廃車対象となり国鉄末期に多数が廃車されましたが、JRに引継がれた0番台については大半が冷房改造や車両更新工事が施工され、国鉄時代には想像出来なかったようなバリエーションが生まれました。
画像はT39です。
こちらはY444です。

画像はクハ115-169ですが反対側のクハは当時は496でした。画像は冷改後間もない頃のものです。
169は1986年に特別保全工事を受けて車内は暖色系の配色となりました。
宇都宮−黒磯間の115系はほとんどが4両編成でした。

画像はY313ですが、前述のY322と同時に広島地区に転出しました。
日中は11連がほとんどでしたが、60-3改正にて東北線・高崎線上野口普電が大幅に増発され7〜8連が主体となりました。

画像はこれもY313です。
Y79のクハ115-153です。

この時はほぼ原形を保っていましたが、これが翌年の全検入場で・・・
↑の続編です。

三相栓受けが変更されたのはいいのですが、貫通扉の手すりがなくなってしまいました。

シールドビームの位置がおかしいクハ115-221と共にかなりの異端車となっています。
Y376で最後部はクハ115-193です。
民営化以降もデカ目で残りましたが、1993年にデカ目のままシールドビーム化改造を受けて異様な顔つきとなりました。
ここからは籠原での撮影です。


画像はクハ115-224(Y121)です。非冷房車ですが、0番台後期車ということもありJRに承継されました。
1990年に車両更新工事を受け、同時にAU712による冷房改造が実施されてスタイルが一変しました。
籠原の電留線を高崎線側から捕らえます。

4両編成の留置が多く、籠原での増結用と思われます。

画像左がY383、右がY822、Y822の後がT1097です。
当時の私の目的だったT1097が偶然居たのでそばまで行ってみました。
T1097の上野寄りのクハは610です。

59-2改正対応でサハ115-8からの改造により登場しました。
改造当時は非冷房でしたがその後冷改・特別保全工事が施工されました。画像は冷改後間もない頃のものです。
上野口115系としては珍しく後天的改造で横軽対策が施工されました。
籠原電車区末端部からの撮影です。

右から2番目はT1034のクモハ115で、当時は7連の高崎寄りにイレギュラーで連結されていました。冷房準備車です。
こちらはT1138で729Mの列番を表示していることから、長岡行普電の付属編成として籠原へ来たものと思われます。

一番手前の錆びた線路は59-2改正で廃止された日本鋼管ライトスチール(現・JFE建材)専用線です。現在は線路は撤去されて砂利が敷かれていたり一部は駐車場スペースに変わっています。
最後に東大宮操での画像で埼玉県民の日一般公開時の撮影です。

60-3改正でクモハ115入り3連の大半が4連化されて上野口の運用に入り、高崎線輸送力増強に貢献しました。
その後211系の増備で再び高崎地区の運用に戻っています。


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