高崎第二機関区一般公開

60-3改正が終わってまだ一段落していない時でしたが、高崎第二機関区開設40周年を記念した一般公開が5日間に亘って実施されました。
5日連続という長丁場も珍しい気がします。
普段活躍している機関車の他に高二で保管されている車両の一部も展示され、実に充実した内容でした。
またキハ35も会場内に設置し映画を上映するなど内容は多岐に及んでいます。

高崎第二機関区は現在のJR貨物高崎機関区のことであり高崎第一機関区は現在のJR東日本高崎運転所にあたります。



まずは入口から

入口付近にはSLの汽笛が設置されており、正午になると数十秒間鳴りました。
会場に向かう途中ではキハ35系を撮影しています。

川越線・八高線用の車両で、末期には越後線電化により転入してきた500番台も在籍し、ほとんどの区分番台を見る事が出来ました。

現在この撮影地点には高いフェンスが設置され、撮影はおろか留置車の姿を見る事も出来なくなっています。
高崎で静態保存されていたEF55ですが、綺麗にお色直しがされています。

この時は車籍が抹消されていましたが、翌年の1986年に見事に本線上に復活しました。
EF55の2エンド側は普通の旧形電機と同様デッキ付きとなっています。

2エンド側はそう滅多に撮影出来ないと思います。
マニ60を改造した救援車です。マニ60は鋼体化客車ということもあり既に形式消滅していましたが、救援車等に改造された車両はこのように健在でした。
幌が外され、一部の窓は埋められています。
トップナンバーの並びです。
手前からEF62・EF63・EF64-1000・EF65-500・EF66の順です。
EF58 61もゲストで来ていました。
1985年2月の全般検査で先頭部運転席側の水切りが交換され、前年国府津運転所で撮影した時とは表情が若干変わっています。
検査時に今までの塗装が全剥離され新たに塗りなおしたため非常にスッキリとした外観です。
機関区庁舎にも入ってみました。

機関車の構造について講義が行われています。
機関車が展示されている傍らでキハ35が展示されていたのでこちらも入ってみました。

ここは一応休憩所となっており、映画の上映も行われています。
EF64 1001は当時は原色でした。
例によって定期的にマークの交換が行われています。
EF66トップもおりました。

1983年夏に東海道線でリバイバル運転時に使用した平和のカン付きです。
EF60 15は当時在籍していたロクマルのなかでの最若番機でした。
高崎線貨物列車のヌシといった感じでしたが、60-3改正以降徐々に引退していきました。

後ろにいるのはEF60 501です。
こちらは500番台で元ブルトレ用でした。
後に一般機と同じ塗りわけとなり、0番台との区別がつきにくくなっています。

また後期形はEF65とよく似た外観となっています。
何故だかセノハチのEF59が・・・
この後高崎で保管されることになり、民営化後の1987年夏には高崎運転所の手により車籍は復活しませんでしたがEF53へ復活整備されました。

現在は僚機だったEF59 1と共に横川の鉄道文化むらで保存展示されています。
EF60 501はこの一般公開直前になって突如特急色に塗り替えられました。
前年(1984年)のEF58 89に続くリバイバル塗装で当時は話題になりました。
この塗装で本線上を走る事はなかったようですが廃車後も高崎で保管され、現在は横川の鉄道文化むらで保存展示されています。
65のPトップです。
原色・白Hと、今となっては新鮮な感じに見えますが当時はありふれた普通のカマで、現在のような人気は全くありませんでした。

現在は黒Hとなったものの、高崎運転所で現役機として健在なのは嬉しい限りです。
高崎のEF15も60-3改正で引退しました。
かつては高崎線や山手貨物線で当たり前のように見られましたが、末期は軸重制限の厳しい吾妻線で工臨専用となっていました。
最後まで残っていたのは165・200の2両でした。現在は165が横川の鉄道文化むらで保存展示されています。

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