JRに承継されなかった国鉄車両(第2回)

国鉄清算事業団に引き取られた車両の第2弾で、今回は主に東大宮操で解体された車両群の記録です。

国鉄時代に廃車され国鉄清算事業団に引き渡された車両は59-2改正で廃止となった大宮操車場に集結し順次解体が進められましたが、大宮操だけでは収容しきれなかったのか客車を中心に一部は東大宮操で解体されました。
東大宮操での解体はこの時が唯一の出来事ではないかと思います。
また、幸いなことに一部の車両は保存が計画されていた車両もありこちらは高崎に集められました。



国鉄末期に廃車となり、保管される予定の車両は高崎に集められました。

画像は吹田配置だったマヤ431で列車掛教習車です。
スハ43系グループの寝台車であるマロネ41を1973年に改造された車両です。保存予定があったのか高崎に持ってきたようですが、保存はされず解体されてしまいました。

隣りの10系寝台車はオハネ1229でこちらは横川の鉄道文化むらで展示されています。
ここから東大宮操での画像です。

マニ50が上半分だけになっており、解体作業にソ99が使用されています。
重機が入るスペースはないようでガス溶断による解体作業です。

ソ99の奥には多数の廃車輪が置かれているのでここで多くのの車両が解体されたのでしょう。
解体待ちのマニ50が2両留置されており、ソ99の控車も見えます。
画像中央のマニは汐留配置だったマニ502068です。

ここは国鉄時代にEF5865を始めとする教習車が留置されていた場所で、民営化されてから暫くは解体予定車の留置場所になっていました。
現在は訓練センターとなっています。
解体されたワサフ8000が倉庫代わりに使用されています。
奥はワキ8000かスニ40でしょうか、骨組と屋根だけが再利用されています。

東大宮操での解体が終了した頃に撤去されたようです。
20系は60-3改正で余剰となった車両のようです。
JR東日本に承継されたナハネフはナハネフ23だけで、編成の最後部を飾るに相応しいナハネフ22は1両も引継がれませんでした。
ナハネフ22だけを撮影してみました。

私は60-3改正以降ナハネフ22の姿を見ておらず、この改正で引退したのではと思われます。
屋根布が剥がれているのが痛々しいです。
マニ50は東大宮で多数が解体されたようで、荷物室扉や水タンクが山積みになっています。
マニ50の残骸がこのように山積みになっています。
まだ解体待ちの客車が多数留置されています。

黄色の101系は当時運用離脱したばかりの中央・総武緩行線用ですが、東大宮で解体されたかどうかは不明です。
山手線205系投入によって捻出した103系に置き換えられました。
解体予定車を横から見たところです。

手前の20系はナロネ21改造のナハ21で、A寝台設備を再用した普通座席車です。
晩年はおがに使用されていましたが60-3改正で引退しました。

ナハフ11の姿も見えますが、恐らく品川区の2018ではないかと思います。
20系は60-3改正でその使命を終えたという感があり、57-11改正以降在籍していた車両のうち半数近くが61-11改正までに廃車となりました。
民営化以降20系が少数とはいえ承継されたことが今となっては不思議な感じもしますが、ナハネフ22やナハ21といった特徴ある車両が全て承継されなかったのは残念な気もします。


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