JRに承継されなかった国鉄車両(第1回)

ここでは国鉄民営化の際にJRに引継がれず廃車となり国鉄清算事業団に引き取られた車両についてふれてみたいと思います。
第1回目は大宮操駅跡地に集められた機関車・客車についてまとめてみました。

63-3改正で東北線・高崎線普電に池袋発の列車が新設され、赤羽〜大宮間は東北貨物線経由で運転されるため大宮操付近では貨物線下り本線は操車場の西側の高架線を通ります。そのため本線側では見られない車両の留置状況が一目で確認出来ました。
民営化後も一部の出発線(上下線とも)だけは大宮操として機能していましたが、貨物列車の待避線として使用されていただけです。下り線側の出発線は高架線に隣接する3〜4線が使用されていました。
当時私は都内の学校へ通学しており、帰りは好んで池袋発の列車に乗って帰宅していたので車番だけは多数が確認できました。

大宮操駅西側を通っていた東北貨物線下り本線は1990年12月3日に京浜東北線側に移設(現在の湘南新宿ライン下り線)されて現在の大宮操の骨格が完成し、その後すぐに画像の撮影ポイントである高架線は解体されてさいたま新都心の工事が始まり、当時の大宮操駅の面影は全くなくなってしまいました。
現在の大宮操(さいたま新都心駅構内)の複数の線路が元々ここが貨物駅だったことを辛うじて示していますが、現在大宮操として残っているのは大宮操駅時代の上り線側の出発線部分です。



池袋発の115系は与野駅付近を通過後、左に大きくカーブして本線と離れて操車場の西側を通ります。
最初に見えるのはマニ50とEF60で、大宮操駅時代の詰所もまだ残っています。
大宮操駅自体はとりあえず61-11改正まで営業(車扱貨物の発着のみ)していたようですが、車扱貨物用の仕分・集結ヤードとコンテナホームは59-2改正での貨物輸送改革により真っ先に不要となり、同改正で用途を失った黒貨車の留置場所に変わりました。
画像右の場所ではワキ5000らしき車両の解体が行われています。

この場所の奥は駅別仕分線で現在のさいたま広域合同庁舎付近になります。
駅別仕分線を過ぎると今度は方向別仕分線部分に入り、長い側線にたくさんの不要車が留置されています。
EF60は後期形が大半です。
機関車は首都圏配置のEF60やDE10・11が多かったです。特にDE10は元・大宮機関区所属機と思われる初期形やSGなし500番台がほとんどです。

ここの留置車はそのままでは本線上を走れないような40〜45両程度の非常に長い編成で留置されていました。
DE10とマニ44の長い列が続きます。
DE10の長い列が終わるとスニ41とスニ40が現れます。
昭和44年新潟鉄工所製で車齢17年で廃車となりました。
スニ40・41はキャスター付パレット積載用の荷物車で、客車でありながら貨車然とした外観が特徴です。またスニ41には混載荷物積載用のスペースと車掌室が付いています。
画像の車両は隅田川配置車で隅田川発着の荷物列車に連結されていました。

方向別仕分線の中央付近は線路が撤去され2軸貨車の解体場になっています。
この場所は現在のさいたま新都心駅下を通る新都心地下道(県道)付近になります。
留置客車で一番数が多かったのはマニ50とマニ44でした。

マニ44は主に隅田川配置車で、57-11改正でマニ36置換えのために増備された車両でしたが、前述のように61-11改正での荷物列車全廃により製造後僅か4年で全車が廃車となっています。
マニ50でも運良くJRに引継がれた車両は救援車代用や控車など、不本意ながら荷物輸送以外の用途に使用されています。
この場所は現在のさいたま新都心駅周辺になります。
急行津軽に連結されていたマニ37で、スニ40系列と同様パレット積の荷物車であり車体色は青15号です。
57-11改正により運用を失いました。
画像は2017で、特にスロ50・50等からの改造車は車掌室側の妻面に種車の面影をよく残していました。

隣りの20系と共に57-11改正で余剰となり、東大宮操に保留車として留置されていた車両群で1987年1月に東大宮操留置時に組成されていた編成を崩さずにそのまま回送されたようです。
大宮配置のオエ61 11でマニ60の改造車です。救援車とは鉄道事故を想定した復旧資材(約60種類)を予め積載しておき、事故があり次第現場へ駆けつける車両です。
主に機関区・客車区・貨車区などに配置されていました。

このあたりはハンプ線を降りてきてレベルになった場所で既にレールが撤去されて更地になっています。
後には解体後の鉄くずがいっぱい・・・
右の方では重機で台車を持ち上げています。
国鉄解体で不要となった試験車群で、マヤ10とスヤ11が見えます。

この2両は共に尾久区の配置です。
マヤ10 2001は昭和42年に日本車輌蕨で製造された車両性能試験車で電気機関車の運転性能や牽引力・消費電力量の測定用として登場し、当初は主に43-10改正対応での機関車速度向上のための牽引試験や新形式機関車の性能試験に使用され、晩年はEF64-1000登場時の性能試験に使用されました。
最高速度は120km/hです。
測定機器類の電源確保用にパンタグラフを搭載しています。
次はスヤ11 2001です。
昭和45年に日本車輌蕨で製造された機関車用車両強度振動試験車で、車両各部に及ぼす振動や車体強度、車輪にかかる応力を測定する車両です。
こちらは測定機器類の電源用にキハ28用によく似たディーゼル発電機を装備し、最高速度は新幹線の技術を応用したTR221を履いているため160km/hです。
一時期は北海道狩勝実験線に送られ、貨物列車の競合脱線の原因究明のため長期試験を行っていた時期もありました。

この場所は現在のさいたまスーパーアリーナ付近にあたります。
貨車やワキ8000の解体風景です。
ワム8は車輪を撤去するだけで、倉庫として売却するようです。
また貨車は一旦解体が始まると客車よりも消化が早く、翌日には鉄くずと化しています。
手前の20系とマニ37は前述のように東大宮から回送された車両で、手前からナハネ20 303、マニ37 2017、ナロネ21 138、マニ37 2020です。

黒貨車は59-2改正でここに回送された車両が大半です。
大宮操はこんな感じで不要車両が置かれていました。

奥にはおそらく売却されるであろう足を外したワム8が大量に置かれています。
本線からはワム8しか見えないのですが、東北貨物線(下り本線)からはこのように留置車が丸見えです。
分割民営化で貨車や客車の多くが余剰になった事が良くわかる風景です。
ここに留置されている貨車は解体が早くあっという間に消えていきました。

1989年2月までに概ね解体が終了し敷地内のほとんどは線路を撤去して更地になりましたが、ここに最後まで解体されずに残ったのは意外にもマヤ10とスヤ11でした。


調査・撮影は1988(昭和63)年10月〜1989(平成元)年2月で、私の凝視により確認出来た車両は以下の通りです。

EF60116・120、DE1053・55・535、マニ502129・2139・2217、スニ402007・2020・2030・2039、スニ412007、マニ362332、マニ442032・2039・2109・2113・2114・2116、マニ372017・2020、ナロネ21138、ナハネ20303、オエ6111・304、ワサフ8507、マヤ401、スエ71数両、マヤ102001、スヤ112001、ワラ71472、ワム186468・584142


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