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まずは東大宮操の教習車群です。
この車両たちの役目が間もなく終わろうとしていた頃の画像です。この後民営化を目前に車両の撤去が始まり、この場所はJRに承継されなかった車両の解体場となりました。画像の2本のピット線の開設は1980(昭和55)年秋だったのでこの線路は僅か6年で役目を終えることになります。
この画像の撮影は当時既に閉鎖されていた東大宮操を跨ぐ人道橋からのものです。東大宮操脇を流れる芝川を渡していた木造橋が腐って撤去され東大宮駅側からはアプローチ出来なくなっていましたので反対側(既にロープが張られて立入禁止となっていた)からムリヤリ入って撮影しています。 |
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撤去直前の実にきわどいタイミングでEF58 65を押さえました。
このカマも設置は1980年秋ですので既に6年が経過しており車体はボロボロです。これらの車両群は1987年1月にまとめて大宮へ回送されすぐに解体されたようですが、このEF58
65は暫くの間解体は免れて1998年頃まで大宮工場に留置されていたようです。
EF58 65は元々広島のカマで1975年に宇都宮に転属し、後に大宮工場でHゴム化が施工されています。またこのカマの最大の特徴である左右一体型のひさしですが、取付改造については広島工場改造説と大宮工場改造説の2つがありますがどうやら広島工場説の方が濃厚のようです。 |
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EF65PF牽引時代の『あけぼの』です。当時は東北線・奥羽線経由でした。
57-11改正時点では3往復でしたが、後の運用分離や廃止などにより1往復となりました。また、山形新幹線開業による影響で上越線・羽越線経由に変更されて現在に至っています。
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東海道線の老舗列車といえる『銀河』ですが、60-3改正で20系から14系に置き換わりました。が、この後の61-11改正で宮原の24系に置換えられます。民営化後も残った列車でしたが2008年3月の改正で廃止されるまで24系客車での運用が続きました。
画像は長くは続かなかった14系時代のもので、14系は60-3改正での急行『きたぐに』の583系化で捻出された車両です。
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60-3改正で東海道線東京口のブルトレは大部分がEF65PFからEF66に置換えられ、また同時に『富士』のヘッドマークは新デザインのものに変更されました。 |
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こちらは『はやぶさ』です。
現在は東北新幹線の列車名となりました。 |
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現在は下り1本のみとなった185系による東海道線普通列車ですが、当時はかなりの本数が185系による運転でした。
民営化後は113系・211系により置換えが進められ、捻出された185系はその後登場する『湘南ライナー』に充当されました。
現在の185系普電のヘッドマークはベースの色が紺色に変更されています。 |
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登場した頃の東海道線211系のグリーン車は2両とも平屋構造のサロ210+サロ211という組み合わせでした。
民営化後の1989年3月の改正で2階建て構造のサロ212・213が投入されることとなり、最終的に全編成がサロ211+212またはサロ210+213という組み合わせに変更されました。
画像は5号車のサロ211です。 |
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こちらは4号車のサロ210です。
現在はサロ210・211とも全車が耐寒構造に改造され高崎に転属となり、宇都宮(東北)線・高崎線上野口で活躍中です。 |
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最後にデカ目クハ111先頭の113系普電です。
元々東海道線普電は非冷房の111・113系10連による列車が1往復設定されていましたが、61-3改正で211系に置換えられ111系は熱海以東には乗入れなくなりました。
この時点で東海道線東京口普電は冷房率およびグリーン車連結100%となりました。
画像の113系は静岡持ちの2サロ入り11連(静シスT編成)ですが、61-11改正で2サロ入り11連は全て国府津に転属しています。 |