第15章:1985(昭和60)年第3部

60-3改正直後の仙台の様子です。

60-3改正では455系の急行運用の撤退や715系1000番台の登場により仙台地区普通列車の大部分が電車化されました。
一部で気動車列車が残りましたが、非電化線区からの直通列車だけです。
この改正での電車化は主に仙台局管内だけの実施で、それまで設定されていた東北線の長距離普通列車は一ノ関で分断された形となってしまい、仙台地区での旧形客車および長距離普通列車は姿を消しました。
455系は交直流急行色のまま転用されましたが、1985年9月からクリーム10号をベースとした715系1000番台に準じた塗装変更が行われるようになり、常磐線上野口普電に続いてローピンが徐々に姿を消していくことになります。



59-2改正で関西〜九州間の寝台特急削減により583系が大量に余剰となり、有効活用して登場したのがこの715系1000番台です。
4連単位で運用され、最大8連です。
黒磯〜一ノ関間で運用されていましたが幅の狭い2ドア車で乗り降りるのに時間がかかり、電動車のギヤは101系の廃車発生品を流用したためモーターは爆音を立てるのでとても元583系とは思えない走りっぷりでした。
黒磯寄りのクハはクハネ581の改造車で種車の面影を残していましたが、反対側のクハ715-1100はサハネ581からの改造車で食パン顔です。

なお、登場初期の頃にはイレギュラーですが455系との併結運用が存在しています。
715系の車内はこのようになっています。

種車の面影を十分保っていますが、両端はロングシート化されました。
寝台の舟は中身はからっぽですがそのまま残されています。ですがJRになってからこの舟も撤去され、ただでさえ高い天井が更に目立つようになりました。
中央のセミクロス部分は種車のままです。
仙石線の103系は動きはありませんでしたが、前年の1984年に72系970番台を置き換えるために常磐快速線から16両が転入し、仙石線初の冷房車が登場しました。
在来車についても一部が改造され、この時点で仙石線103系にバリエーションが発生しています。
417系も動きの少ない車両でしたが、今までの6〜9連から3〜6連での運用に変更になりました。455系と同じ2ドア車ですが運用は別になっています。
まだ冷房準備車となっていますが、冷房改造はJRになってから実施されています。

常磐線415系ローピンと同じ塗装ですが415系が新塗装になってからもこのままの色で残り、1991年に新塗装となるまで見ることが出来ました。
当時の417系の室内の様子です。

国鉄標準の青モケットが特徴です。またドアの脇にあるガラス製の風防板は新製当初から取り付けられています。
ドアは当初は115系と同様に半自動扱いの場合手でドアを開ける方式でしたが、JR化後に押しボタン式に変更されています。
東北線普電は大半が455系化されました。
サロ455の代わりにクハ455を連結した形で、大量にクハ455が不足したため多数のクハ165を改造して充当されました。東北の455系+おわん形タイフォンカバーという組み合わせはこれが初めてです。
一部は169系900番台からの改造車が含まれています。
クハ455-300番台の一部は名古屋地区で使用されていたクハ165からの改造車で、関西の旧新快速色時代の塗装跡がくっきりと残っていた車両もありました。
60-3改正までに165系からクハ455への全ての車両改造が間に合わなかった為改正後も6両のサロ455がクハ代用で入ってました。
もちろん暫定的な措置でこの後改造車が順次落成してサロ455は徐々に外されていきます。60-3改正後に落成したクハ455のうち2両はなんとサロ165からの改造車でした。
こちらは453系で常磐線の普電に使用されています。

1985年秋から455系については715系に準じた塗装に変更されますが、453系は455系との区別をつき易くするためかローピンのまま使用されました。

453系は既に老朽化が進んでおり、翌1986年以降一部の車両は車体載せ替え改造を受けて717系に変身しています。
ED78の重連ですが、主に仙山線の運用に入っていました。
60-3改正後も気動車列車は残りましたが、これは陸羽東線からの直通列車です。
改正でも残ったのはいいのですが、編成は短縮されました。

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