第14章:1985(昭和60)年第2部

東北・上越新幹線上野開業を柱とする60-3改正が実施され、在来線列車は上野・東京口とも大幅に変わりました。
57-11改正以上の規模でした。 60-3改正の最大の特徴は車両という財産を有効活用するという方針に基づいて行われたため、57-11・59-2改正で余剰となり保留車となった電車のうち電動車は全車両が転活用されたという点です。
逆に今度は食堂車やグリーン車が大量に余剰となりましたが、 こちらは老朽車が大半だったということもありほとんどが廃車となりましたが、やはり車齢の若い車両を中心に有効活用されてサロ481-500(だんらん)や追加でサロ110-300・1300番台、そして民営化後の登場になりますが北斗星やトワイライトエクスプレス用の食堂車が相次いで登場したのはまだ記憶に新しいところです。

この60-3改正では急行列車のほとんどが特急に格上げされ特急列車が大増発されましたが、その反面大半の特急は編成が従来よりも短くなりました。
上野口の普電は高崎線で185系が1往復残った以外は全て近郊形電車に置き換えられ画一的なのものになりましたが、一方で115系・415系は車両数的にはこの頃が一番のピークだったと思います。
東北・高崎線の日中の115系普電はこの改正で従来の1.5倍に増発されましたが編成は大半が7〜8両という大変短いものになってしまいました。
60-3改正のダイヤは今後の標準という位置づけとなり、以後民営化以降も暫くはこのスタイルが継承されることになります。



60-3改正でひたちの次に動きのあったあさまですが、今改正で1979年7月以来久々に復活した489系のあさまです。
定期列車として1往復が設定され、事実上489系が運用増となったこともあり編成は白山と共に9連に短縮されました。
急行なすのを全列車特急に格上げして登場した新特急なすのです。60-3改正で東北線黒磯までの運用を開始しました。
全列車7連で、従来の急行なすのよりも停車駅の数が多くなった事もあり評判はあまり良くありませんでした。
国鉄は60-3改正より、このような停車駅の数を増やした短距離特急を新特急として長距離特急とは区別するように変更しています。
新特急となってからは乗車率はあまりよろしくなかったようで、民営化以降2回に分けて快速ラビットに格下げとなってしまいました。
高崎線の115系にも大きな動きがありました。
一番特徴的だったのは松本運転所より冷房準備のモハ114・115-1000番台が転入した事で、前回の59-2改正で転入したサハ115-1000番台に続いての登場となります。
この頃の新前橋区115系1000番台は改正ごとに冷房率が下がってきた感じでしたが、60-3改正が落ち着いてきた頃から冷房改造の方も徐々に進んでいきました。
そよかぜも489系化されました。

189系があさまの運用だけで精一杯だったのでしょうか、489系に変更されています。
クモユ141 2連ですが、長野と長岡の車両が併結されているので向きがお互い逆になっています。
高崎線の荷電も2〜4両の短い編成になってしまいました。
1985年5月につくば御召が運転されることに伴い東北線で試運転が行われました。
車両も1号編成とブレーキ方式が同じ旧形客車で構成されています。

カマはEF8181が選ばれてローピン塗装に銀帯が追加されました。
この塗装変更によりEF8181は爆発的に人気が出ることになります。
新特急なすのと同様、高崎線内に残った急行も全て特急に格上げされ谷川が増発されました。
やはり停車駅が大幅に追加され新特急に改称されています。
大宮工場で入換えに従事するDD16 20です。既に車籍は抹消し廃車となっていましたが、入換動車として使用されていました。後にDD16 36も追加されています。

大宮工場は機関車・客車・気動車がメインでしたが、57-11改正を過ぎたあたりから電車が定期入場するようになりました。
また東大宮操です。
客車が減少し、電車が幅を利かせるようになってきました。
奥の方には埼京線開業を控えて品川電車区から疎開してきた103系も見えます。

さらに右の方には57-11改正で余剰となり保留車となった20系・旧客・荷物車などが留置されています。この時点ではまだ廃車にはなっていませんでしたが、営業運転に復帰する事はありませんでした。
さて、武蔵野線では101系1000番台が最期の活躍をしていました。
まだ101系が多数派でしたが、60-3改正以降103系への置換えが始まっています。

初期車が多かった関係でテールライトは画像のようなタイプがまだ見られました。
101系1000番台は全車非冷房です。 全て両端クモハの4M2Tで、クハは在籍しませんでした。
その後も101系取替えのための103系の転入が相次ぎ、101系1000番台は61-11改正で姿を消しましたが一部は秩父鉄道へ売却され現在でも活躍中です。

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