第13章:1984(昭和59)年(第4部)/1985(昭和60)年第1部

東北・上越新幹線上野開業を柱とする60-3改正が目前に迫りました。

この頃になると車両の動きが活発になってきて編成変更などが出てきました。急行列車を中心にグリーン車や他区への転出予定車の減車、583系食堂車の減車、ひたちのサハ481減車などが中心です。
上野口普電では165系・453系使用列車が改正を待たずに115系・415系に差し替えられる列車も出ています。

一方、東京駅ではブルトレ牽引機がEF66に変更されるとあってPFにカメラを向ける人数が増えていました。
上野口ほど大きな改正ではありませんでしたが踊り子や銀河など車種変更される列車が出ています。

またこの頃は国鉄の増収を目的としたファン向けのイベントもいろいろと実施され、国鉄が実に活発に動いていた時期でもありました。



瀬戸が入線します。

東京口のブルトレは60-3改正で大半がEF66に変わりますが瀬戸だけはEF65 1000で残り、東京機関区が無配置化されるため改正以降の担当は新鶴見となりました。

隣は165系の東海です。167系の急行ごてんばが併結されていますが、これも60-3改正で廃止されたため在来線最大の16連が消滅しました。
185系の急行伊豆と言いたい所ですが、この表示のままで踊り子として東京駅を出発してしまいました。

急行伊豆の幕も185系登場時から56-10改正までの僅かな期間だけ見られたもので、当時は153系との併結も見られました。
当時は185系の普電が多数設定されていました。

これは平塚発の726Mで、折返し伊東行521Mになります。
機回し中のPFでこの時はPFならなんでもかんでも撮影していたといった感じでした。
山手線環状運転75周年を記念した内回り1周ノンストップ列車です。
大崎発着でしたが、果たしてコンスタントに走れたのでしょうか?

翌年には205系が登場し、山手線の103系が置換えの嵐に巻き込まれようとしていた頃でした。
↑のケツ打ちです。
ノロノロと通過していきました。

この後はこの列車に関連して品川電車区の一般公開が実施され、ヘッドマークは車両展示にも使われました。
ここからは上野での撮影です。

キハ58系のときわですが、これも60-3改正で453系列車を含む急行ときわ全列車が特急ひたちに格上げされ、キハ58系も上野から消えてしまいました。
165系の上越方面のスキー臨だったと思います。

この頃スキー臨といったら165系や12系などの急行形車両が使用されていましたが、1986年からはスキー列車を『シュプール号』と命名し大々的な販売戦略が始まりました。
車両も一部を除き特急形電車を使用するようになっています。
オクシナ回送列車を大宮で狙いました。
当時はほぼ全列車がゴハチの担当となっており、これを狙ったファンが多数おりました。

1983年1月に上野−東京間の回送線が廃止され、既に山手貨物線経由となっています。
東北線ではまだ珍しい存在だったEF65Pによる貨物列車です。

画像の528号機は当時は新鶴見機関区の配置でした。この頃高崎はまだEF60が多数派だったのですが、60-3改正でEF15・EF60を置き換えるためにEF65が転入するようになり高崎線・東北線でも頻繁に見られるようになりました。
臨時のあさまは当時は489系使用となっていました。

60-3改正で489系は9連化され、食堂車も外されて寂しいものとなりました。
一方で60-3改正では急行信州・妙高の特急一斉格上げが実施され、489系あさまは臨時ばかりでなく定期列車にも入るようになっています。
ひたちは今まで文字だけのマークでしたが、60-3改正を待たずに絵入りのものに変更されました。
検査周期の関係で一足早く踊り子塗装となった新前橋区185系を使用する『新幹線リレー号』です。
改正までの約2ヶ月間、この塗装で走りました。

新前橋区の185系は一部の踊り子で使用されていた183系を置き換えるために60-3改正で4本が転属しています。
画像は現在のB7編成です。

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