第12章:1984(昭和59)年(第3部)

今回は夜行列車中心の画像です。

今回もあまり動きの無い中での撮影でしたが、59-2改正で変更のあった部分はとりあえず押さえることが出来ました。
今回は東海道線113系にもスポットを当てています。
59-2改正で寝台特急紀伊が廃止されました。民営化以降東海道ブルトレは改正ごとに少しずつ廃止されていきますが、当時はこのような事は全く想像すら出来ませんでした。



上野駅にトップで入線するゆうづる2号です。

59-2改正で向日町から24系25形(100番台)が転入してきたため、オハネフ25 200番台が上野に姿を見せるようになりました。
天の川を牽引してきたEF64です。高崎二区のEF64(1001〜1016)の担当です。
57-11改正でも廃止されずに残りましたが牽引機はEF58からEF64-1000に変更されています。
24系24形使用の出羽は59-2改正では動きはありませんでしたが、2段寝台化は完了していました。
上野駅に入線した津軽で、EF58の担当は津軽と八甲田だけになりました。
宇都宮運転所の所属です。宇都宮には他にもEF65PFが配置されていましたが、こちらは59-2改正で全車が田端に転属となっています。
一見普通の403系ですが、この編成は59-2改正直後に新製されたモハユニットおよびサハ411 2両を組み込んで8連固定となっています。
この8連固定は暫定的なもので限定運用が組まれましたが、60-3改正で常磐線普電の15連化に伴い7連に組み替えられました。
常磐線の415系列も新塗装化がどんどん進み、1984年も秋になると大半の色替が完了していました。
もうこの頃になると12両編成でそのうち8両が白電というのが当たり前のようになっています。

画像のK38もこの後すぐに白電になりました。
59-2改正で紀伊が廃止されたために併結相手だった出雲3・2号は単独運転となりました。
14系14形が使用されています。
こちらは出雲1・4号で24系25形が使用されています。
瀬戸はあさかぜ3・2号と同様東京口ブルトレの中でもA寝台・食堂車の入らない列車で、地味に見えたものです。
あさかぜ51・52号は臨時列車ながら最後の20系寝台特急で、当時は新鮮に見えたものです。
テールマークは白幕でした。
185系が主体の踊り子ですが、田町区の183系は3往復に充当されていました。
185系1〜10号車と同一の編成です。

次の60-3改正で新幹線リレー号廃止によって捻出した185系200番台に置き換えられ、183系はあずさ用として松本に転属となりました。
国鉄時代から東海道線は冷房率が高かったのですが、その中でも1往復だけは111系や非冷房の113系が充当されていました。熱海寄りから4+6両の10連です。
創臨の臨時スジの一部を定期化して設定した普電という特異な列車です。
静岡運転所の車両で東京駅を発車する唯一のグリーン車無しの定期列車でした。
反対側からも撮影しています。

運転日によっては一部に冷房車が入る事もありました。静岡の111・113系は原則としてT編成は冷房車で構成される11連(サロ入り)、L・S編成は非冷房車による4・6連です。

この111系列車はこの後も暫く動きがありませんでしたが、61-3改正で211系に置き換えられ同改正以降111系は東京口から姿を消しました。
57-11改正で余剰となった181系・489系のサロの一部は当時老朽化が進んでいたサロ110-0番台(サロ153の改造)を置き換える目的で1サロ110-300・350番台に改造され、近郊形らしくない?断面に湘南色のいでたちで登場しました。
当初は少数派に留まると思っていましたが、1983年までに11両が改造され一大勢力となってしまいました。
特急時代の座席のままとしたために座席定員はサロ110-0番台やサロ111よりも少ないですが、その分近郊形とは思えないほどゆったりとした空間を体感出来ました。
こちらも同じ目的で改造されたサロ110-501で、サハ165からの改造車です。
車内はほぼサロ110-1200番台に揃えられ、サロ110でありながら車掌室なしでした。

グリーン車の定員確保のため原則として改造サロ+サロ111の組み合わせで編成に組まれていましたが、画像のようにサロが2両とも改造車という編成も登場しています。
東海道のサロは61-11改正で全て国府津に集結しました。

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