第6章:1982(昭和57)年(第4部)

いよいよ57-11改正が目前に迫りました。
特急列車の大半が姿を消すということで上野駅には早朝から多数の鉄が集まるようになりました。
ということで私も1982年11月7日に出撃しています。混雑が予想されたため11月14日出撃は断念しています。

11月7日の時点で既に改正色が出ており、既に東北・上越特急はモハ・サシの減車、客車列車もA寝台車(オロネ10)の運用終了や減車などが相次いでまともな編成は残り少なくなっていました。編成変更等の動きがなかったのは特急あさま189系と115系・185系・415系だけという状況です。

上野駅では57-11改正以降開始される新幹線工事の準備が既に始まっており、近い将来上野駅が大変貌することを如実に物語ってました。



57-11改正で廃止された北星です。上野−盛岡間の列車でした。
14系寝台車12両編成で北陸と共通運用でした。
北星の廃止により余剰となった14系は一部は尾久に残った他は宮原・金沢に転属しきたぐに・能登の新型客車化に使用されました。

朝6時過ぎの撮影ですが、大混雑でまともな撮影は出来ませんでした。
ゆうづる6号で今は無き19番線での撮影です。
上野駅19番線は57-11改正では残りましたが新幹線工事で一時的に閉鎖された17番線の代替として使用され、17・18番線の工事が完成した1983年7月に廃止されました。
現在の17・18番線(18番線は1999年9月に廃止)は先頭部分が他のホームと比較し1段後に下がっていますが、これはこの時の工事でこのように変更されたものです。

現在、19番線があった場所は新幹線乗換え用の通路となっています。
18番線に停車中の14系座席車使用の急行おが4号です。
57-11改正直後から18番線が工事で閉鎖されるための柵が既に立っています。
隣りの17番線の列車は越前です。

17・18番線の間はかつて荷物ホームがあった関係で少し間隔があいていましたが、前述の工事により若干山側に移動しました。

現在は新幹線工事で地平ホームの上に人口基盤が建設された為に真っ暗になってしまいましたが、今でも16・17番線をつぶさに見ていると改装はされましたが部分的に“国鉄”が残っており、かつての雰囲気を感じ取る事が出来ます。
15番線に停車中のはつかり1号です。
はつかりは6往復が設定され、485系・583系とも3往復ずつの運転でした。


583系は57-11改正後食堂車の営業は無くなりましたが、MG給電の関係でサシ581は非営業でありながら連結されて60-3改正まで残りました。
こちらはひばり3号です。

57-6の改正でひばりは14往復中6往復が廃止され8往復だけになっていましたが、車両の運用は大きく変わり仙台運転所の485系は3往復だけとなりました。
このひばり3号も57-6改正で仙台から青森持ちに変更されています。

また、この頃から一部の485系(仙台車)のサシがサハに差し替えられた編成が登場し、改正後はそのまま常磐線のひたちに充当されました。
画像ははつかり3号で4つ目のクハはクハ481-1502です。

はつかりも57-11改正で上野−盛岡間が廃止され盛岡−青森間の列車となり、新幹線接続特急に生まれ変わりました。
これも改正で廃止されるはくたかです。

これもはつかりと似たような変更を受け、上野−長岡間が廃止され長岡−金沢間の列車となり北陸本線の北越に統合されました。
こちらも前述のひばりと同じような編成変更を受け、7号車のサロがサシに変更された編成が改正を待たずに登場しています。
クハ481-1506を最後部に連結しているひばり5号です。18番線です。

柵が見える場所にはかつて荷物ホームがありました。今でも13〜14番線の間には荷物ホームが残っており、宇都宮線・高崎線の新聞輸送用として現役で使用中です。

隣の115系は548M小金井発の普電です。
16番線に停車中のはくつるです。57-11改正では常磐線経由のゆうづる1往復を東北線経由に変更しはくつるは2往復となりました。

57-11改正で583系は上野口では寝台列車だけの設定となり、はくつる2往復、ゆうづる3往復のみに縮小されています。

隣は125S新幹線リレー5号で、上野駅では14・15番線発着となっていました。
最後はローピン時代の常磐線415系です。

当時の415系は全車がこの色で翌年(1983年)8月から塗装変更が開始されました。
57-11改正で常磐線の普通列車は全て電車化され、この時に増備した車両までがローピンで登場し、59-2改正対応で増備された車両から新塗装に変更されています。

画像は登場間もない415系500番台です。

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