第5章:1982(昭和57)年(第3部)

ここでは57-11改正直前の仙台の様子です。

東北線交流区間の普通列車といったらED75+旧客という組み合わせがほとんどで、電車列車は仙台周辺で417系・455系による普電が僅かに設定されているに過ぎませんでした。
通勤時間帯こそ1時間に3〜4本は確保されていましたが、9時台以降は1時間に1本ある時間帯は稀で、夕方の通勤時間帯まで普通列車が3〜4本あるがどうかという時代でした。
現在では4〜8両編成の701・719・E721系が支配する時代になりましたが、当時は旧客6〜12両の普通列車が多くED75を先頭に堂々とした編成でした。



上野から仙台へ向かう時に乗車した20系の新星号です。
カニを含め9両編成でした。
上野23:42発仙台着5:57の列車で今では考えられないほどの短距離寝台急行列車です。
さすがに普通に走ると早く仙台に到着するので白石で24分の停車が設定されてました。

この列車は57-11改正で新幹線の影響をもろに受けて廃止されてしまいます。
当時の仙石線の103系です。

4両編成・青22号・全車非冷房車でクモハ先頭で揃えられていました。1979年に首都圏各線から転入しています。
当時の仙石線はタブレット閉塞方式の為先頭車の戸袋窓は一部埋められ、一見ATCクハのように見えます。
民営化後になって仙石線専用の塗装が施され、また仙台の仙石線ホームも2000年3月に地下化されて当時の面影が全くなくなりました。
現在は山手線・埼京線から転入した205系3100番台に置き換わっています。
当時の東北線普通列車といえばやはりED75+旧客というパターンでした。
画像は128レで黒磯行の列車です。

スハ43系が主流でしたが、一部でオハ35系やスハ33系が残っていました。
画像は仙台では数少ない455系普電ですがこれは上野からの急行あづま3号(夜行)で、福島−仙台間は普通列車となって仙台に向かいます。
郡山でばんだい11号を切り離しましたので6両編成です。グリーン車は福島からは自由開放扱いでした。
原ノ町発青森行の233レです。
確か10両編成の長い列車で、原ノ町から11時間かけて青森へ向かいます。

また、一部の列車(41レなど)では3〜4両の旧形客車に隅田川からの荷物列車編成がまるごと連結され、12両編成程度のかなり長い編成になります。
旧客に混ざって一部の普通列車には気動車が用いられていました。
主に仙台周辺の非電化路線からの流れ込みで気動車による普通列車が設定されています。

画像は利府発白石・平(現・いわき)・丸森(現・阿武隈急行線)行の3階建て列車で岩沼・槻木で解結されます。
キハ40・45・58系の混合列車です。
東北線白石行の普通列車(2526レ)です。
もう残り少なくなっていたスハ33系が連結されてました。

スハ33系は57-11改正でほとんどが引退し、改正以降はスハ43系が主体となりました。
青森発奥羽本線・北上線経由の急行きたかみ4号です。
秋田のキハ58系が仙台まで乗り入れます。

画像のように非冷房車が多く自由席は非冷房、指定席車とグリーン車のみが冷房車という編成が数多く見られました。
↑のキハの左は新庄行の3735Dです。

小牛田のキハも既にキハ40系が大半となっていましたが、キハ45系も多数が配置されてました。
ローピン時代の417系です。15両のみの存在で主に利府−白石間の普電に使用されていました。

415系とよく似た外観で、当時はまだ希少だった2ドア近郊形です。
6〜9連での運用が多かったように思います。
当時はまだ冷房準備車でした。
ED75Pが牽引する1138レで盛岡発黒磯行の列車です。
カマの後には荷物車が連結されています。

当時は長距離鈍行が多かったのが特徴ですが、60-3改正で仙台管内がほぼ電車化され、都市間の細切れ運用が大幅に増えて現在に至っています。

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