第4章:1982(昭和57)年(第2部)

1982(昭和57)年6月23日に東北新幹線開業がついに開業しました。

上野口では185系による新幹線リレー号が登場し、新幹線利用客に対する便宜が図られました。
開業当時の新幹線は定期列車の他に季節列車が設定されましたが夏休みに入ってからの運転だったため、一部のリレー号はそれまでは運用の関係で回送列車として走りました。
57-11改正までもう半年を切るようになり、11月の改正までは東北線は暫定ダイヤとして運行されています。 仙台・青森運転所485系の九州転属も始まり一部は新幹線開業を前に転出してしまいましたが、新幹線開業後に本格的な転属が始まった関係で57-11改正まで485系東北特急の編成変更は頻繁に行われました。

一方上越特急の動きが出てきたのは夏休み終了後の9月からで、こちらはサロ転用の関係で改正を待たず一部の181系が運用を離脱したほか、183系も長野・幕張への転属車が出てきたため車両不足による一部列車の運休や幕張電車区183系(0番台)での代走などがありました。



東北新幹線大宮暫定開業で登場した185系200番台の新幹線リレー号です。
7両+7両の14連です。
新幹線利用客のための列車ですが、普通列車の扱いであり乗車券だけで乗る事が出来ました(ただし定期券での乗車は出来ません)。
全車自由席でグリーン車はシルバーカーとして自由解放となってました。

大宮−上野間ノンストップで26分で結びます。
新幹線リレー号は原則として廃止となった東北特急のスジを利用したため運転間隔が一定ではなく、大宮駅では3・4・7番線発と、列車によってまちまちでした。
画像は3番線に入線するリレー号です。
185系200番台は新幹線リレー号用に新製されたようなものですが、リレー号以外では新前橋電車区165系の一部を置き換える形でこのように急行運用に入っていました。

画像は草津6号で上野で折り返し879M高崎線普電となります。
この列車は1〜7号車がゆけむり8号で165系7両+185系7両の併結運転でした。高崎線で一番特異な列車だったと思います。165系+185系の併結部分を撮影していなかったのが今となっては悔やまれます。
489系のはくたか2号ですが、今回は貫通形の200・600番台です。

高崎線は6月23日の改正では新前橋電車区115系の一部が小山電車区に移管された程度で東北新幹線開業の影響を直接受けなかったこともあり動きはありませんでした。

一方、東北の485系はこの時点から九州大量転属の動きが出てきます。
ここからは東大宮操での画像です。

東大宮操まで客車を牽引したカマはこの機留線で次の出番まで待ちます。

奥の方では訓練車が見えますが、この時は何故か大半の車両が移動されていました。
訓練車はEF15 83、DD13 2両(78・84号機)、101系4両、スハ43 2249、貨車数両と当時一番話題となっていたEF5865でした。
別の日にもう1度行ってみました。
通常はこの位置に留置されています。主に昭和55年に廃車となった車両が集められ、101系は元津田沼電車区配置でした。

カマ以外では移動機1両、クハ100-12+モハ100-195+モハ101-202+クハ101-10の101系4連、ワフ21290、ワム90000が7両(93305・93792・93824・133105・133508・135083)の陣容です。
留置されてから既に2年、退色が始まっています。
この時はいいアングルでゴハチを撮影出来ませんでした。
この撮影地点で後を振り向くとこんな感じです。

夕方の通勤時間帯に備えて115系が留置されています。ここに見える車両はほとんどが夕方までに出て行き、昼間長距離を激走してきた485系・183系に場所を譲ることになります。

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