第3章:1982(昭和57)年(第1部)

1982(昭和57)年の東北新幹線開業直前の記録です。

東北特急の編成減車、185系新幹線リレー号試運転などの動きが出てきていよいよ新幹線開業か・・・と思ったものです。
東北新幹線開業は1982(昭和57)年6月23日で、新幹線開業と共にやまびこ4往復全てとひばり6往復が廃止されました。新幹線定期列車と同じ本数の在来線特急が廃止されています。
廃止された10往復以外の列車については若干の変更はあったものの、特に目立った動きはありません。



まずはボンネットクハの特急あいづです。
仙台運転所の485系を使用していたため、同所485系を使用するひばりと共に割と初期車が多かったのが特徴です。

東北新幹線開業を目前に控え、大宮駅は工事が終盤を迎えています。
新幹線リレー号が発着する6〜9番線には大宮駅では初めてエスカレータが設置されました。
高崎線普電のうち4往復にはクモニ+クモユが併結されてました。
画像は長野からのクモニ143-3で高崎で115系に連結されます。

左端の方に見える赤い車両は当時非電化だった川越線用のキハ35系です。
さらに奥のレンガ造りの庫は大宮機関区で明治時代の建造物でしたが、新幹線工事に先立ち1982年秋に解体されました。
クモニの隣はクモユ141-9です。これも長野発です。
普電は高崎からの115系で7+4両の11連でした。合計で13連(8M5T)の列車になります。
当時唯一の郵政省(現・日本郵便)所有の私有電車でした。

画像は高崎線880M(大宮13:50発)で、荷電は2両とも長野運転所、115系は小山電車区所属です。
一方、こちらも高崎線普電ですが長岡行の列車です。
↑の場合とは異なりこちらはクモニ83+クモユ141で、長岡運転所所属の荷電が連結されています。
荷電と一緒に長岡へ向かいます。

画像は数少ないクモニ83800番台です。
57-11改正で荷物輸送は大半が隅田川に移管され、日中の高崎線普電からは荷電併結が見られなくなりました。
上野に姿を見せる最後の旧国でした。

なお、高崎線では普電併結以外にも隅田川〜上沼垂間の荷物列車(2047M・2048M)の1往復があり、こちらはクモニ83の4連です。
次ははくたか2号です。金沢発ですが長岡経由の列車です。

トリミングなしで掲載しましたが、6・7番線のベンチは木製であり、ホームには飲用水道がありました。
木製のベンチは東北新幹線開業日までにFRP製に交換されています。

また柱には灰皿がありますが、この頃既に禁煙タイムが設けられていました。
神奈川県修学旅行集約臨です。55-10改正で155系から167系12連に変わりました。

列車の運転ルートは品川経由と大崎支線経由の2通りがあったようで、車両の向きが運転日により異なってました。

画像はシールドビーム改造を受けたクハ167-1です。
青森運転所485系によるやまびこ6号です。
九州への転属予定車が整備を受けるようになったのでMM'を中心に車両不足が発生し10両に減車されています。

この減車措置は新幹線開業前日まで行われ、開業後残った特急については所定の12連に戻っています。
485系は新幹線開業時点で大幅な運用変更が行われ、ひばりを含めて残った東北特急の大部分が青森車による運転となりました。
L特急ときですが、181系での運転は3往復だけになっています。

末期の181系は大半のサロが485系ベースの車両となっており、編成中央で凹凸が出来てしまいなんとなく不自然です。
57-11改正で列車名を新幹線に譲り181系は大半が廃車となってしまいましたが、サロだけは他形式に改造され57-11改正後も生き残りました。
画像のとき14号は大宮通過でした。

主に181系100番台が使用されていましたが、一部は151系・161系からの改造が含まれています。
常時自連むき出しのクハ180(1号車限定)も目立つ存在でした。

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