車両運用効率の向上、車両基地側の投資の抑制、列車のスピードアップ、保守の合理化という4つの目的を掲げて昼間は座席車、夜間は寝台車として使える車両が開発され、1967(昭和42)年に登場したのが581系です。42-10改正対応で南福岡電車区に配属され九州の『月光』・『みどり』に初めて投入されました。1968(昭和43)年より583系に移行し1972年まで増備が続きましたが、山陽新幹線博多開業の50-3改正で『月光』が廃止されるとともに全車が向日町運転所 (一部は青森へ) に転属となり、民営化を挟んで2013年のJR西日本の583系運用終了まで続きました。
 57-11改正では関西対九州の寝台特急が大幅減となった関係で581系を中心に大量の余剰車が発生し、59-2改正に向けて715系 (九州向け) へ改造されたことにより581系のM車は消滅し向日町車のMM'は583系に統一されています。さらに59-2改正で関西〜九州間の583系寝台列車が消滅し大量の余剰車が発生する事態となり、次の60-3改正に向けて前回の715系に続いて今度は583系を対象に近郊形転用改造が行なわれ仙台地区向けの715系1000番台と北陸向けの419系が登場しています。

 一方、583系は1968(昭和43)年10月1日のダイヤ改正(いわゆる『よん・さん・とう』)で東北線全線電化用として登場した交流側50/60Hz共用の交直流寝台特急電車です。
 前年に登場した60Hz専用の581系に対し、M'車に搭載されている主変圧器をTM14に変更して50/60Hz共用とした形式で、床上搭載のMGとCPを小型化し床下搭載に変更して定員増を図ったクハネ583とグリーン車サロ581が新たに登場しています。なお、モハネ582に搭載しているTM14形主変圧器は冷却油にPCB (ポリ塩化ビフェニル 
) を使用していたため、後にTM20に取り替えられています。
 東北・上越新幹線開業前は食堂車入りの13両編成が標準でした。新幹線開業の57-11改正以降は次第に活躍の場が縮小し、ついに1994年12月の改正で定期運用から離脱しましたが、一部の車両については今後も波動用として使用するため1993年にリニューアル延命工事が施工された車両が登場しています。

 485系と比較し寝台設備装備で大幅な重量増となった581・583系は台車への応力増大や軸受焼損等のトラブルが多く、特に1975年以降の後天的改造で台車の強化形への取替やPCB対策で主変圧器をシリコン油冷却式に変更したTM20への更新等の大型改造投資を行なったことが、特急としての用途喪失後も715系1000番台などの近郊形電車に改造して民営化後も使用している要因にもなっています。


 模型は全車ともKATOの581・583系で、車体の切継ぎ改造は行っていません。
 製作は1994(平成6)年〜2015(平成27)年です。

 <参考>
※ ポリ塩化ビフェニル : ビフェニルを構成する水素を塩素で置換された芳香族炭化水素化合物の総称。耐熱性・電気絶縁性・耐薬品性に優れる。
 しかし生体への毒性が極めて強く、体内で消化されずに蓄積する発癌性物質である。加熱する事によりダイオキシンに変化する。1972(昭和47)〜1975(昭和50)年にかけて段階的に製造・使用が禁止された。
 国鉄では主に昭和40年代に製造された交流・交直流電車の主変圧器 (主にTM10・13・14) の冷却油として採用され、583系では1976〜1982年にかけて冷却油をシリコン油に変更したTM20形に順次取替が実施された。
1974年度以降の新製車からは全面的にTM20形に設計変更されている。



 
§1.向日町の581・583系 (2次製品)


 模型は2013(平成25)年発売の改良品 (2次製品) が種車で、55-10〜57-11改正時点での編成を模型化しています。予算の関係で581系基本セットを購入しない投入方法をとり、クハネ2両とサハネの計3両はAssyによる組み立てを行なったほか、他の車両は全て増結セットを複数組込み所定の12連に仕立てています。北陸本線の『雷鳥』をプロトタイプとしており6M6Tです。12連でM車は1両ですが平坦路では問題はないものの、地平から高架線に上がるような連続勾配があると牽引定数ギリギリらしくちょっときついかな?という感じです。窓ガラスの色は1次製品よりも淡い青色に変更されています。

 車両番号は1985(昭和60)年のつくば科学万博輸送のため同年5月下旬〜7月上旬の期間限定でサロネ581入りの8M4T12連1本が向日町運転所から水戸鉄道管理局に貸し出され、常磐線および東大宮操まで乗入れた車両の中から選んでいます。実車は万博中央・土浦発着のエキスポライナーのうち大宮発着の1往復(武蔵野線・武蔵野貨物線大宮支線経由)に充当されたようです。





 
モハネ582-70・85・87 (画像は87)

 購入時はT車だった車両ですが動力を取付けて動力車にしています。切継ぎはしていませんが、屋根をグレーに変更し碍子類に色差しを行なっています。
 碍子は標準的な白としました。屋根に吹くグレーですが、1985年に東大宮操で青森車と向日町車が並んでいた所を実車調査したところ同じ583系なのに向日町車の方が白味がかかっていたので、計画当初では青森車との区別のため少し明るめのグレーで差別化を図ろうかと考えてましたが、どう考えても面倒 (^^;) なので青森車と共通としています。塗料は583系の雰囲気に合うよう自家調合しており、GMカラーのねずみ色1号に黒を少し混ぜています。冷房と通風器はねずみ色1号で塗装しコントラストを出しています。





 
モハネ583-70・85・87

 こちらも屋根の再塗装を行なっています。
 製品は中段寝台がセットされた状態ですが、『雷鳥』運用時がプロトタイプなので寝台は取り外して座席にしています。




 
クハネ581-24・29

 この車両も屋根をグレーに変更するだけです。製品の屋根は銀色でそのまま塗装すると金属部品に下地処理なしで塗装するのと同じでぶつけたりして間違いなく剥離してきます。
 在来の583系 (1次製品) とは異なり冷房 (AU15) は外せるように変更されたので作業は楽で、ペーパーをかけて銀色をある程度はがすまで仕上げてから塗装します。AU15は別工程でねずみ色1号に塗装します。
 外した冷房は塗装作業中だいたい1個か2個くらいは紛失しそうな感じなので(^^;)、予備としてAssyでスペアパーツを購入して予備分もまとめて塗装しています。

 ヘッドマークは製品についているものとペンギンモデル製の合体で、 『雷鳥/明星/有明/にちりん』 の4コマです。私が所有する特急形電車の中で唯一東日本の特急列車の名が存在しない車両です。





 
サハネ581-25・54

 こちらも屋根の塗装のみです。屋根をグレーに変更するだけでも外観が落ち着いてきます。

 以上の向日町車は青森車との混併結を想定していないのでカプラーは製品のままとしています。



 
§2.青森の583系 (1次・2次製品)

 1968(昭和43)年10月1日全国ダイヤ白紙改正 (いわゆるよん・さん・とう) で東北線は青森までの全区間の電化・複線化が完成し、それに合わせてそれまでキハ82系を使用していた特急『はつかり』を電車化する事となり登場したのが583系です。登場当初より8M5Tの13連の編成が組まれ、以降増発や『ひばり』の充当、サロの連結位置の変更があったものの、13連の編成は60-3改正まで続きます。
 東北上越上野開業の60-3改正では9連に短縮され、多客時のみ12連(サシは減車)という変則的な運用となりこのスタイルは民営化後も続きますが、山形新幹線の開業以降は583系で運用されていた一部の列車が余剰となった485系に置き換えられ、また『はつかり』も1993年12月改正で全列車が485系に統一されるなど余剰車が出てきて、徐々に多客臨・団臨といった波動運用にシフトすることになります。60-3改正でサシ581が外され部分的に廃車が始まったのを皮切りに国鉄末期に一部が廃車・整理されただけでしたが、1994年12月の改正において 『はくつる』 の24系化によりついに583系の定期運用が消滅し、1995年から本格的に廃車が始まりました。

 模型は後述のクハネ583リニューアル車2両を除く全車両が1983(昭和58)年1月に発売されたKATOの1次製品で、何故か濃い目の青い窓ガラスが特徴です。当初は国鉄の57-11改正が終わりやっと落ち着きだした頃の1982年12月の発売予定で、全形式同時発売だったはずなのがM
N・M'N・TNCの3形式だけが先行しての発売となり、残りT車3形式の発売は数箇月以上遅れるというエピソードがありました。この583系から車体構造が大幅に変わり、台車はKATO製では恐らく初めてと思われるビス止め方式が採用され、以降2006年発売分の485系雷鳥セット (雷鳥セット自体は2005年にビス止め方式で発売された) でスナップ式が採用されるまで同社の標準的な構造として長い間採用されました。台車用のビスで床板と座席を固定するので床板まわりがしっかりと組み立てられているのが特徴です。


 どういうわけだかウチの青森583系はKATO製にしては珍しく転がりが悪い? (1983〜1986年に購入した初期の1次製品にその傾向が強い) ので13連フル編成で動力車は1Mで走らせると平坦路ではとりあえず普通に走るものの、前述の連続勾配が続く区間ではまずムリで大空転を起こし上がって行きません。因みに高架はTOMIX製を使用しており、勾配区間はメーカー推奨の1高架橋に対し勾配橋脚2個ではなく1高架橋につき1勾配橋脚の組み合わせにして可能な限り勾配を緩くしていますが、それでも上がって行きません。 ということで1次製品で13連フル編成を組む場合は動力車は2Mの方が宜しいかと思います。

 所有している583系青森車は東北新幹線開業前の標準編成だった8M5T13連2本と民営化後の1993年に登場したリニューアル車の6M3T9連の2タイプが在籍しています。


 
その1.一般車

 実車は43-10改正で登場し1972(昭和47)年まで増備されたグループです。サシ581の食堂の営業は57-11改正で終了となりましたが床下にはMGが搭載されており、食堂非営業でも編成全体でのMG容量の関係で減車が出来ず60-3改正まで13連のまま残りました。

 模型は前述の通り1983年発売の1次製品です。特急『はつかり』での座席状態を基準にしているため室内灯取付の際に不自然な光漏れを防ぐ目的で、寝台上/中段用の小窓部分にGMステッカーの隅の余白部分を適当に切って貼り内側から光が煌々と見えるのを防いでいます。寝台状態にするには寝台小窓の光漏れ対策はとりあえず不要ですが、サロ・サシを除く全車に対し窓の全部または大部分にべネシャンブラインドを取り付ける必要が出てきます。





 
モハネ582-104

 動力車です。
 ↑の向日町車と同じく屋根をグレーに変更しており、AU15冷房と通風器はねずみ色に塗装します。パンタはPS16の上半分とED75 (1981年発売の1次製品) 用のPS101の下半分を組み合わせてムリヤリPS16Hにしています。パンタ台座から延びる4本の碍子の先にはさらにパンタ固定用の突起が付いているので屋根にこの突起を差し込む孔を追加するか、思い切って撤去するかの対応が必要になってきます。

 KATO製のみならずどこのメーカー製でもそうですが交直流車の低屋根部にある計器用変圧器は何故かただ単に箱のようになっているだけで、見ていても面白くないので脇腹に碍子を追加します。





 
モハネ583-104

 この車両も屋根の塗装を行なってから冷房と通風器をねずみ色1号で色差しします。
 1次製品の冷房と通風器のモールドは全て屋根との一体成型であり向日町車のような別工程での吹付け塗装は出来ません。やむを得ず筆塗りで対応していますが1編成13両分だと塗装箇所だけで相当の数となり、一旦始めると途中で投げ出す事が出来ない(笑)ので、完成させるにはかなりの根気と集中力が必要になります。





 
クハネ583-15・26

 屋根の加工は他車と同じですが、クハネの場合は常磐線無線アンテナ(583系用)を2個取り付けます。
 また185系の場合と同様、ヘッドマーク部分のみ白LEDで点灯する方式に改造しています。

 ヘッドマークは製品のものを切り継いで 『はつかり/はくつる/ゆうづる/みちのく』 の4コマとしています。





 
サロ581-5

 屋根以外は製品のままです。





 
サシ581-22

 583系の食堂車です。サシ481・489とともに両妻に回送運転台が設置してあり、識別のため車体側面の青15号帯が妻面にまで回っていますが、1次製品は青が妻面にまで回っていないのでここだけ塗装を行ないます。
 食堂従業員用便所窓に白を入れています。


 青森の一般車は一部の窓に銀河製のベネシャンブラインド (一部は切断して半開の状態) を組み込んで外観に変化を持たせています。



 
その2.リニューアル改造車

 1994年12月改正で定期運用を失った583系ですが、583系の波動輸送自体は今後も残る事からサロ入り9連×3の合計27両を対象に1993年にリニューアル延命工事が行なわれ車両更新車なみに室内が大幅に改装されました。青森583系の室内リニューアル自体は既に1992年から行なわれていましたが座席モケット張替え程度の簡素なものでした。1993年実施のリニューアル改造は更新工事並みの徹底ぶりで、特にサロ581は吊り天井方式に改められ各座席ごとに読書灯が付きました。
 外観的には塗屋根化・黒Hゴム化が主ですが、前述の通り室内はカラースキームが大幅に変更されこれでも583系か?と思ってしまうほど印象が変わりました。

 団臨用として計画された改造工事のため団臨には優先的に入った他、同じ波動輸送として冬季のスキー専用列車 『シュプール上越1・4号』 (上野−小出) にも9連のまま充当され、特に94年シーズンはクハネ583-5が入るN32が、98年シーズンはクハネ583-17が入るN34がほぼ1シーズン専属で充当されました。当時は年末年始運転の臨時『はくつる』に充当されて年末年始輸送終了後は青森には帰らず一旦東大宮操へ回送され、1月8〜10日あたりから始まるシュプール上越号運転に合わせて今度は東大宮操をベースにして運転され、スキーシーズン終了 (583系のシュプール充当は概ね3月10日あたりまで) と同時に青森へ返却回送となる運用が組まれました。『シュプール上越』 は主に田町または新前橋区の185系の担当であり、583系は1993年1〜2月に大船発着の3・2号 (期間中毎日運転) にも充当されたパターンを除き上野発着の1・4号 (ほぼ毎週木曜〜日曜日運転) に限定されています。583系充当は1993年シーズンに始まり99年シーズンをもって終了しています。

 模型は583系1次製品の予備品捻出のため2次製品の車体に更新されたクハネ583の2両を除いた全車が1次製品で、1994年3月11日に 『シュプール上越1号』 で乗車したN32がプロトタイプです。
 乗車後室内配色等の実車調査も全車に対し行なっています。.

 車両形式別に室内のカラーリングが異なるのが特徴です。製作は1994(平成6)年です。

 全車共通の改造(変更)点

   1.Hゴムを全て黒に変更
   2.屋根は一旦全体をグレー(ねずみ色1号)に塗装後、塗屋根化
   3.クハネのJNRマークを撤去し、JRマークを追加
   4.中間の貫通扉はステンレス地を表現するためメタリックテープにて表現
   5.床下に汚物循環処理装置と洗面所の排水管を追加






 
モハネ582-6・12・79

 リニューアル車はベネシャンブラインドが撤去され、窓は1枚構造となり横引きカーテンが追加されました。
 屋根の碍子はモハネ582リニューアル仕様車全車共通で塩害対策を施した緑色としており、常磐線103系用のエメグリをそのまま塗っています。碍子間を結ぶ高圧配線はプライマー処理を行なった後に銅色で塗装していますが、こすったりするとすぐに剥がれてしまいあまり意味がないです。

 模型は横引きカーテンはN小屋の583系用 (形状等により何種類かある) を使用しています。私はNo.10253を適当にΣ形に切ってカーテンを束ねて格納している姿を再現しています。
 切って用意するカーテンの数も相当なもので、出来栄えを想像すると手を抜く事が出来ない作業でありこれもかなりの根気と集中力が必要になります。





 
モハネ583-6・12・79

 この車両も↑のモハネ582と同様です。
 583系の中で最も定員の多い形式で、その分窓の数が多く切り出すカーテンの数が半端でないので一部は手抜きで(笑)一部または全部閉めた状態を再現しています。





 
クハネ583-5・20

 583系も購入してから30年を経過する車両が出てきて老朽化が進み、修理用部品を捻出する必要が出てきてリニューアル車のクハネだけは一部部品を流用する形で2次製品の車体・床板に更新しています。元々は1次製品でした。
 JRマークを転写し、583系用の常磐線無線アンテナを取付けます。カプラーは他車に合わせてマウントタイプのTN密連を装備しています。

 ヘッドマークはペンギンモデル製に交換し、 『はつかり/はくつる/シュプール上越/シュプール蔵王』 の4コマです。





 
サロ581-33

 改造工数の少ない車両で、横引きカーテンは片側のみです。
 リニューアル車全車共通で行先幕は 『シュプール上越』 としています。KATO185系用のものを切り出して文字の配置を変えて貼っています。




 583系の細かい加工など


 583系は車体切り継ぎは行なっていません。小部品の取付・構成部品の追加・色差し等の細かい加工が中心になります。



1.モハネ582の低屋根部

 583系に限った話ではなく国鉄型交直流電車全般に共通する低屋根部の加工です。碍子の色は車両により白と緑の2種類があります。
 主要機器類は銀色、ランボードはねずみ色1号に塗装しています。





2.青森のリニューアル車

 583系青森車の室内アコモ改善自体は1992(平成4)年から行なわれており、この時は単に座席のモケットを違う柄のものに張り替えただけの簡素な改良でしたが、下表の27両を対象に1993年に登場したのがリニューアル583系です。
 前述の通り室内の配色は形式ごとに異なっており、同じ青森の485系のアコモ改善で採り入れた色彩感覚をほぼ踏襲した内容となっています。

 さて583系リニューアル車の場合は何と言っても車体の切継ぎ工程がないので生みの苦しみを味わずにすみますが、Hゴムの黒色への変更をいかにスッキリと仕上げられるかがカギとなります。
 また、クハネ・モハネの組み立ての際上中段用寝台窓が入りにくいですが、入らないからといってムリに取り付けようとするとせっかくのHゴムのモールドを傷つけてしまうので注意が必要です。
 今回は急行形電車の場合と同様に窓ガラスのグレーのスタンプ部分を軽くヤスリでこすって表面を荒らした後に黒のマジックペン (なるべく細めのほうが良い) でなぞって仕上げています。

 次に編成全体の印象を決定するクハネ583の先頭部分について少しばかり解説します。


 1.JNRマークを撤去

製品のクハネ583は国鉄仕様でJNRマークは印刷で表現されています。シンナーを用いてマークを溶かすような感じで削り取ります。
 シンナーはTAMIYAのX-20(水性)を使用します。 
油性シンナーは使用厳禁です。間違いなく塗装がやられます。
 JNRマークの部分だけ溶剤がついた状態にします。

 溶剤がマーク部分のみについたら、ツマヨウジの先で軽〜く軽〜くなでるようにこすります。ツマヨウジの先は少し潰して柔らかくしておくといいでしょう。強く擦って先を急ぐのは厳禁です(テカってしまうので)。ここが一番神経を使う作業です。
 少し経つと銀色が溶け出してくるので、様子を見ながらティッシュペーパーを当てて溶剤を吸い取ります。

 画像の例は失敗しないように多少控えめにしました。若干マークがうっすらと残っているのがお分かりいただけると思います。

 最後に白のJRマークを転写して完成です。
 2.ヘッドライト部分をグレードアップする
 分解して車体だけにした後、ライトレンズを引き抜いてヘッドライト・テールランプのリム部分に銀色をさします (2次製品の場合は不要です)。
 これだけで先頭部がかなり引き締まりますが、前述のJNRマーク撤去作業と同様、かなりの繊細な作業となります。


 3.乗務員室内の塗装
 白3号(または原色の白)と緑2号を適当に混ぜています。国鉄標準の室内配色です (これも2次製品の場合は不要)。

 4.ATS表示
 製品はSのみですが、首都圏乗り入れ対応車なのでSPに変更します。

 5.無線アンテナ
 JR仕様なので取付が必須です。

 また、先頭部貫通扉中央の合わせ目には鉛筆で1回スジを引いて貫通扉が引き立つようにしてあります。
 6.中間部分の貫通扉

 実車の貫通扉の引き戸はステンレス無塗装のものに交換されています。これを再現するため扉の窓周辺のみ銀色で色差ししたあとにメタリックテープを貼り、窓の部分だけカッターナイフでくり抜きます。



 リニューアル車の室内配色は以下の通りです。なお、最後まで残った秋田の6連は2003年の全検時 (当時は仙台所属) に座席のモケットのみ青色に戻されました。

 

 座席部分の床 : 特急色のクリーム4号
 通 路  : ウッドブラウン(Mr.カラーNo.43)
 座 席  : 自家調合のエンジ色
 座席上部  : クリーム4号
 

 座席部分の床 : 自家調合 (クリーム1号+黄5号)
 通 路  : ねずみ色1号
 座 席  : ウッドブラウン(Mr.カラーNo.43)
 座席上部  : 灰色9号
 

 座席部分の床 : 自家調合 (クリーム1号+黄5号)
 通 路  : ねずみ色1号
 座 席  : 自家調合の緑色
 座席上部  : 自家調合の薄緑色
 

 床全体 : ねずみ色1号
 座 席 : 自家調合のグレー(艶消)


 各部品をよく乾燥させて組み立てると既製品とは一味雰囲気の異なる583系の完成です。



<参考>

 JR東日本青森運転所583系リニューアル車編成表 (1993〜94年)

編成番号 クハネ
583
モハネ
582
モハネ
583
モハネ
582
モハネ
583
サロ
581
モハネ
582
モハネ
583
クハネ
583
改  造
N29 12 98 98 25 25 31 83 83 3 1993.8
N32 20 12 12 79 79 33 6 6 5 1993.12
N34 8 106 106 100 100 32 94 94 17 1993.3
※改造は土崎工場または青森運転所


今回の583系の加工は車体の切継ぎおよびエアーブラシ塗装がないので室内の色差しが主な作業となります。ですが面倒で繊細な工程が多いので予想以上に手間がかかります。
583系を複数編成所有されており最近の583系を再現してみたいという方は是非試してみてはいかがでしょうか。

 <参考文献>
・鉄道ピクトリアル  1993-6 JR583系電車の現状  電気車研究会 1993 
・鉄道ファン  1995-3  寝台電車583  交友社 1995


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