直流急行形電車(湘南色・国鉄仕様)
今回は全国的に見られた直流急行形電車で、東海道線東京口の153系・167系、および東北・高崎線上野口の165系・169系900番台の特集です。
いずれも全ての車両が国鉄仕様となっており、特別保全工事など延命工事を実施していない昭和60年頃までの設定です。
激しい切継ぎを伴う大きな改造は167系のみで、他は屋根の改造や細かい部品の取付で済んでいる車両が多いです。種車は155系を除き全てKATOの165系(1次製品)で、1987(昭和62)〜2016(平成28)年の改造です。
まずは例によって形式写真から ↓
東京口・上野口の順に紹介します
第1部:153系
国鉄時代の56-10改正まで見られた田町電車区配置車をプロトタイプに選んでいます。
東京から伊豆方面の急行「伊豆」や東海道線東京口普電に使用されていましたが同改正で185系に置き換えられ、特急「あまぎ」と急行「伊豆」を統合してL特急「踊り子」に生まれ変わりました。
編成は153系時代から基本10連(6M4T)と付属5連(2M3T)でしたが、185系になってからも10連+5連の編成はそのまま引継がれました。
モハ152-55
1960(昭和35)年春までに増備された初期形(モハ153・152-65まで)で、パンタ側の妻面を小改造し主電動機用冷却風取入口を撤去した後に小窓を追加しました。
同時に配管も適当な太さの真鍮線で追加しています。
屋根のクーラーおよびベンチレータはねずみ色1号で塗装しています。
モハ153-55
こちらも同様で、初期形に改造しています。
製品のHゴムは窓と同じく銀色となっていますのでやすりで削り落としてからGMの灰色9号(103系1000番台用の擬似アルミ色)に白を若干混ぜたものを筆塗りします。
既製品と比較するとかなり感じが変わります。最近再生産された製品は白Hに変更されているので不要な作業ですが、古い車両をお持ちの場合は外観的にも効果的なタッチアップです。
クハ153-503
シールドビーム車となっています。
167系田町アコモ車タイプ(限定品)をそのまま塗り替えた車両で、車体は非改造です。製品はどれもデカ目タイプなのでシールドビーム車が1両あると編成に変化が出ます。
サハ153-220
付属編成12号車専用のサハで、MG・CP付きの200番台です。
屋根はモハ153の流用、床下は元からあったモールドを全て撤去して更地にしてから便・洗面所用水タンクやMG・CPを取り付けます。
CPはC-1000タイプです。
また、前述のモハと同様非トイレ側の妻面には小窓を追加しますが、両妻面にある冷却風取入口は全て削り取ります。
サロ165-15
153系編成に組み込まれるグリーン車です。
現在は画像の通り帯無しですが、やはり東海道線の急行には青帯が必要かな?ということでいずれ青帯を入れる予定です。
モハ153・152初期形およびサハ153の妻面の様子です。
前述のように冷却風取入口を撤去し、窓を追加します。
モハ152はパンタからの配管も表現しています。モハ152の直流避雷器は屋根との一体成形で表現されているので撤去後穴明けをして別パーツに交換しました。
次にサハ153-200の床下です。
実車を観察したことがない(!)ので、実物写真を参考にそれらしく床下機器を並べました。
使用した床下はモハ456用で、415系モハ414改造時に床下機器をもぎ取られていた部品があったのでそれを有効に活用しました。
田町区のクハ153-500のうち、シールドビーム化改造を受けたのは503・510の2両だけです。
少数派ですが、編成組成に変化を出すために作りました。
余談ながら1966(昭和41)年国鉄全線にATSが整備されましたが、東海道線(東京−姫路間)ではATSが整備されるまでは車内警報のみのA形が使用されており、同年のATS整備に合わせてATS-Aに改良されましたが1970年にATS-Sに統合され廃止されました。
一部の車両はその後もATS-Aを撤去しなかった車両が多数あり、当該車には『S・A』の保安標記が付されていました。
画像の503もSA併設だったので画像のように表現しています。
最後にサロ165回送運転台側の妻面です。
黄かん色の帯を妻面にまで回す関係で車体を再塗装しています。サロ165は妻面まで黄かん色帯が回っている車両が大部分で、緑1色になっていたのは当時大井工場で全検を行なっていた田町・新前橋・幕張区配置車だけではないかと思います。
テールライトはダミーなので穴明けをしてテールライトレンズを嵌めています。レンズはKATOのEF66-100用Assyがあったのでこれを使いました。
点灯はしないのであまり意味は無いのですが、ちょっと気になる部分ではあります。
第2部:155系
関東からの関西方面への修学旅行用電車として1959(昭和34)年に登場したのが155系です。当初は旧称号規程が適用され82系を名乗ってましたが登場後僅か数箇月で155系に改称されています。
基本構造や電装品は153系とほぼ共通ですが、修学旅行専用車として計画された車両だけに室内外ともに一般車と異なる部分が多いです。また修学旅行以外にも中央東線の臨電にも使用出来るよう屋根全体が低くなっており、外観的には上から踏み潰されたような車体形状が特徴です。平行して増備されていた153系とは異なりクハの大きな設計変更が行なわれなかったのでクハ155は全車が低運転台構造です。塗装は登場当初は黄色+朱色のいわゆる修学旅行色でしたが1977年までに全車が湘南色に変更されています。
編成はTcMM'Tc'の4連が基本ですが、一部の編成では片方のTcの代わりにT車を組み込みTcMM’T
または TMM’Tcとして4連×3の12連を組んで編成されるのが基本です。8連で運転する場合はいずれかの4連を減車しても8両編成を組める構成となっており、Tc車を少しでも減らしてコストダウンを図っています。
模型は2016年4月に発売されたKATO製の車両です。製品は155系新製当時がプロトタイプとなっていますが、私は1977(昭和52)年以降の田町電車区仕様に改造しました。座席は153系・165系と同様の2人がけクロスシートにしたいところですが、現在のところ未施工となっています。
モハ154-3
車体は何も考えずそのまま湘南色に色替しただけですが、屋根はベンチレータを押込型に変更しています。参考までにベンチレータの変更は田町電車区配置車特有の仕様(冬季の修学旅行シーズンオフ期間中は上越線スキー臨に充当されたため)で、大垣電車区配置車はグロベンのままです。
モハ155-3
モハ154-3と仕様は同じです。
クハ155-4・9・10
これも車体色の変更と屋根の改造を行なっています。1964年登場の3次車(13〜)にするには最前部のベンチレータの大型への変更と雨樋の延長が必要になります。田町区配置車では13・14の2両が該当します。
先頭部分の幌は偶数向きクハ(品川駅基準で横浜寄り)に取り付けます。ATS標記は『S・A』としています。
サハ155-2
屋根のベンチレータの変更および湘南色への色替を行なっただけです。
155系は1959年増備の1次車、1961年増備の2次車、1964〜65年増備の3次車があり、一見画一的に見える155系にも若干の形態の変化があります。
クハ155については前述の通りですがモハ車は妻面にある窓の数の違いがあるだけです。2次車は妻面の窓が1箇所に変更されています。その代わりに冷却風取入口があるのですが模型ではとりあえず省略しています。
画像は左が1次車・右は2次車です。サハ155は1次車のみで増備が打ち切られたため画像左側のタイプになります。
前述の通り田町区の155系は冬季は上越線方面の臨時列車に充当されるためベンチレータは押込式に変更されています。
数はグロベン時代と同じで国鉄標準の千鳥配置です。
クハの信号炎管は銀河製のものに交換して塗装を行なっています。
第3部:165系・169系900番台
続いて165系グループです。
かつては43-10時代からの流れを汲む車両(ヘッドマーク桶付き)が残ってましたが、57-11改正あたり(またはそれ以前?)から見かけなくなりました。それまで新前橋区の165系は7連と3連の組み合わせで運用されていましたが、同改正でサロ入り7連に統一され、60-3改正(東北・上越新幹線上野開業)において上野発着の定期運用がなくなりました。
余談ですが新前橋区の165系は長野配置の115系・169系と同様、信越本線横川〜軽井沢通過時は協調・非協調を問わず重量の重いクモハをEF63連結側(峠の下り側で上野寄り)に組成することとしたため、例外的にクモハが上野向きの逆向き配置となっています。
模型は新前橋区配置車がメインです。167系のような大きな改造はサロ165ユニットサッシ仕様車のみで、他は比較的細かい作業が多いです。
§1.一般車
クモハ165-99
製品そのままといった感じですが、KATOのクモハ165の屋根はクモハ457の流用(新製冷房車仕様)なのでトイレ側デッキ上部にベンチレータ1個を追加します。
クモハ165のうち冷房改造車全車が対象です。
クハ165-86
これも一見製品のままですが、先頭貫通扉部分にヘッドマーク桶を追加しています。
サロ165-82
新前橋区配置のサロで多数派だったのが、ユニットサッシ改造車です。
実車では昭和54年頃から急激に増え始め新前橋区配置車については59-2改正までに全車が改造されましたが、60-3改正でクハ455-600に改造された車両を除いた全車が運用離脱となり廃車となってしまいました。
模型は車体の改造が中心で、0.3mmのプラ板を窓の内側四方に貼り面積を小さくします。
車体とユニットサッシの段差は塗装で表現しました。また新前橋区のサロらしく(?)、黄かん色の帯は妻面まで回っていません。
当然窓ガラスも狭くなった分鉄やすりで四方を削って小さくします。非常に作業しにくい工程ですので思い切って1区画ごとに切り離してから鉄やすりで仕上げました。1両につき12個の加工が必要で、ハッキリ言ってかなり根気の要る作業です。やっていくうちに段々イライラしてきます(笑)。
ユニットサッシはペイントマーカーの銀色を塗ったGMのステッカーを細く切り出して(概ね0.5mm程度)窓に貼って表現しています(かなり難しい作業です)。
細いステッカーを貼っているだけなので車両をいじっているうちに段々と曲がっていくのが難点です(汗)
全検時に貼り直していたりします(笑)
また、中央の縦ピラーは黄かん色に塗装しています。
§2.169系900番台
信越本線横川〜軽井沢間におけるEF63との協調運転用試作車として登場したグループです。
1967(昭和42)年に165系900番台として登場し、各種試験走行を経て翌年に量産形式である169系が登場しました。その後、165系900番台もそれに合わせて169系900番台に改称されています。
新前橋区配置で同区165系と共通運用でしたが60-3改正でクハ・クモハは455系クハ455に、モハは電装解除されサハ165-100に改造されて169系900番台は消滅しました。
クモハ169-904
偶数向きのクモハです。
改造は屋根に集中しており、2連の箱型ベンチレータ以外のモールドを全て撤去して冷房取付用台座6個を取付後AU12S形冷房装置およびベンチレータを配置しました。
冷房装置用台座は余剰となっていた屋根からくり抜きました。AU12SはKATO製、ベンチレータはTOMIX製です。
モハ168-904
169系900番台の中で最も特徴のある車両で、屋根のベンチレータの配置が独特のものとなっています。
車体の改造はモハ164-800と同じです。
実車は元々AU12S 5台での冷房を想定した冷房準備車で落成しましたが、後の冷房化に際しモハ164・168と同じAU72形集中式クーラーが搭載されることになったため屋根と天井の大改造を受けています。
クハ169-904
クモハと同様改造は屋根に集中しています。
§3.シマS817編成
1984(昭和59)年夏に新前橋区に突如登場した編成です。
同区の169系900番台全車が改造の上転出することになり、それに伴う車両不足を補うために新潟運転所から借り入れたのがS817です。貸出しにあたっては新前橋車に合わせるべく方向転換が実施され、クモハが上野向きとなっています。
この直前の59-2改正で松本から新潟に転属した車両で、60-3改正以降は主に中央東線波動用として三鷹区に転属となりました。
ノーマルタイプしか配置されていなかった新前橋区165系の中にあってS817はかなり目立った存在でした。貸出なので「新ニイ」標記のままでしたが、東北線黒磯にも足を延ばしています。
クモハ165-70
私の所有する湘南色クモハで唯一のシールドビーム改造車です。
ライトの遮光板およびヘッドライトレンズは種車のものを流用し、ヘッドライトレンズはシールドビームに合わせ細く削ってうまく嵌るよう調整しています。
車体はクハ111の先頭部分を切り継いでいます。その関係で後に登場したKATOのシールドビーム車と比較するとヘッドライトが少し大きめです。
モハ164-817
モハ164を種車として低屋根部分を切り継ぎました。
この車両を製作した当時(1991年)はモハ164-800(湘南色)は製品化されていなかったのでアルプス165系(モロ164)の低屋根部分を切り取って切継いでいます。
これに伴い、妻板も低屋根に合わせて加工しています。
クハ165-57
クモハ165-70と同じでクハ111の先頭部分を切継いでいます。
2016年現在、上記の3両は中央東線に転属させておりサハシを組み込んで急行『アルプス』基本8連側に入れています。
実車では43-10改正あたりに見られた先頭車貫通扉にあるヘッドマーク桶ですが、かつて宮沢から発売されていたヘッドマークセットの中にあったエッチングパーツを接着して車体を再塗装しました。
↑ 1982年頃まで見られた165系ヘッドマーク桶
(管理人撮影)
169系900番台の特徴である屋根の様子です。
新製時よりAU12Sでの冷房化を想定した冷房準備車ですが、前述の通りモハ168-900はAU72で冷房改造されたため、ベンチレータの配置が冷房準備時代のままとなっています。
参考までに、実車の冷房化は1971年です。
§4.中央東線
前述のS817の中央東線への転属に合わせて急行『アルプス』を組成させるため中央東線ならではの車両を改造で作りました。
サハシ165-54 (調理室側)
1965(昭和40)年の急行『アルプス』の電車化に際してビュッフェ車が連結されることとなり新潟から転入させて充当されましたが、不足する分はサハシ153からの改造車で賄われサハシ165-50番台が登場しました。
模型はサハシ165-50番台としました。実車と同じくサハシ153を種車に改造します。改造は車体の調理室側に集中し、業務用控室窓の追加とそれに伴ない小窓1箇所を移動します。業務用控室窓はサロ165の車掌室部分を流用しています。
意外と気付かない部分ですがサハシ165-0とは異なり2箇所の小窓は高さが揃っているわけではなく業務用控室側の窓は一段低くなっています。同時期に改造されたサハシ169も同様です。
サハシ165-54 (ビュッフェカウンター側)
ビュッフェカウンター側はサハシ153時代のままで改造は不要です。画像では床下のCPが付いたまま(改造当時はサハシ169として落成したため)ですが、サハシ165-50番台はCPがないのが正解です。
また、実車の画像を参考にして機器を一部追加しています。台車はTR59を履いています。
サハ164-1 (通路側)
前述の通りサハシ165の不足分はサハシ165-50の改造で補充されていたのですが、それでも所要数を満たさなかったため追加分は新形式サハ164で充当することになりました。サハ165との最大の相違点は車体の約1/3が売店および車販基地となっていることで、165系の中でもかなりの異端車となっています。
模型は他形式の改造で部分的に切り取られて余っていた部品の有効転活用で製作しています。車体は更新工事で余剰となったムーンライトクモハ165
(KATO製の限定品ではなく1989年に改造で製作したもの) をベースとして、やはり他車の改造で余剰となっているモハ164やサハシ153の複雑切継ぎで組み上げています。
床下はサハシのものを利用しています。ビュッフェ用の水タンクを撤去しトイレ用水タンクやMGなどを実車の画像を参考にしてそれらしく配置しています。
台車はTR69ですがアーノルトタイプの在庫がなかったので先頭台車の交換で余っていたカプラー部分なしの台車を使い、TOMIX製TN密連(車体マウントタイプ)を床板に接着しています。
サハ164-1 (売店側)
売店側は比較的おとなしい窓配置です。
切継ぎ後にサボ受けの追加と車体の売店部分にルーバーを追加します。
車体・屋根などやたらと改造工数の多い車両ですが幸いにも形式図があったので改造自体は苦労せずに済みました。製作していた当時(2008年)は絶対製品化されることはない!と目論んで作った車両ですが、まさかTOMIXから製品化されるとは・・・
サハ164の座席です。
モハ164(T車)の座席を使用し、売店および中央に移動した出入台を設置するため当該部分の座席は全て撤去して更地にしてから売店部分を組み上げます。
他車の改造で余った部材を有効に利用しています。
配色は実車の画像を参考にしています。
第4部:167系
155系の後継車として1965(昭和40)年に登場したのが167系です。既に165系が登場していましたので車体構造・性能は165系に準じています。
全車非冷房で塗装は朱色と黄色のいわゆる修学旅行色として登場しました。首都圏→関西方面に「わかくさ」として登場し、後に宮原区にも配置され小学生用は「なかよし」、中学生用は「友情」、高校生用は「わこうど」として数多くの修学旅行臨として活躍しました。
しかし、1972(昭和47)年の山陽新幹線岡山開業後は新幹線利用が増えて在来線の修学旅行臨は急減し、最後まで残っていた『わこうど』も1974(昭和49)年に廃止され姿を消しました。以後、田町区配置車は冷房化や湘南色への色替を行ない神奈川県集約臨(日光方面)や東海道線の急行『伊豆(臨時)』や『ごてんば』に転用されJR化後も残りましたが、2003年に183・189系に置き換えられて全車が廃車となりました。
模型は田町区配置車(冷改後・湘南色)をプロトタイプに選んでいます。1990(平成2)年および1997(平成9)年の改造です。
モハ166-4
動力車です。
車体はモハ164を種車にサロ165のトイレ部分付近とサハシ153の客扉付近を切り継いでいます(この切継ぎは167系全車共通)。
トイレ窓は残しますが、洗面所窓は塞ぎます。また、側面サボ受・号車札受・急行札受は片側2ヶ所で1両で4組が必要になります。
動力はモハ164のままです。1両の改造に3両分の車体を必要とするかなりゼイタクな改造です。
モハ166-1
こちらは動力無しです。
屋根はモハ164-800(初期形)と同じで、ベンチレータは千鳥配置です。作品は屋根を切継ぎましたが、現在はモハ164-800が製品化されているので既製品の流用が可能です。
床下はモハ164の流用です。
モハ167-1
種車はモハ165で、車体の改造内容は上記のモハ166-1と同じです。
屋根はモハ165とほぼ同様となっているためモハ153用はそのままでは使用出来ず(外観の違いを気にしなければ別にそのまま使用しても問題ないですが・・・)、クーラーとベンチレータの移設が必要になります。
床下はモハ165用のままです。床下機器の違いを気にしないのならモハ153用も使用可能です。
クハ167-15
種車はクハ165で、モハとは異なり運転台部分の切継ぎが加わるためモハとはと違って切継ぎが少し難しくなります。
全長はクハ165と同じです。
クハ167-1・7
こちらはシールドビーム仕様車で、運転台ブロックはクハ111用を切り継いでいます。
国鉄時代のクハ167シールドビーム改造車は1と7の2両だけです。
以上、167系は車体構造を165系(1次製品)に合わせるよう改造しており、極力165系と部品共通化出来るよう配慮しています。
167系の屋根ですが実車が昭和40〜41年製ということもあり、同時期に製造された165系(初期タイプ)とほぼ同じです。
新製時は非冷房車であり後に冷改されていますので、ベンチレータの配置も165系初期形冷改車と同一の配置となります。
実車では1981(昭和56)年まで非冷房車が残っていました。
167系の切継ぎですが、右の画像の通りです。前述の通り、モハの切継ぎは2ヶ所、クハの切継ぎは3ヶ所になります。
またこのように切り継ぐと、種車から流用する部分(画像ではモハ165・クハ165の※部分)が約0.5mm程度ですが非トイレ側にズレます。場合によっては組立の際に座席から床下に向けて伸びる取付用の爪が車体と干渉する場合がありますので車体側の爪用の切欠きを加工する必要があるかもしれません。
クハの車体の切継ぎですが、屋根が車体に隙間無く嵌る長さになります。屋根と車体に隙間が出来たり、逆に嵌められない場合は車体の長さがエラーです。
167系の切り継ぎで最大の問題はモハ166動力車の車体ですが、ただでさえフワフワしているので作業にあたっては寸法の確認と切継ぎで曲がっていないか充分に注意する必要があります。
今回は国鉄時代(特に57-11改正前)の再現的な要素が多く、167系を除くと屋根の加工が中心で改造自体はそう難しい話ではないように思います。
ですが、今回紹介した車両群はKATO・TOMIX共に165系のバリエーションがまだなかった頃(80年代後半〜90年代前半)に製作したものが大半で、バリエーションを増やすためには是非とも改造が必要な時代でした。
97年にKATOから165系800番台が発売されて以降急激にバリエーションが豊富になり、既製品だけで今回紹介したタイプ各種が再現出来るようになりました。と同時にここまで製品化された今となっては苦労して作った甲斐がなくなってしまったような気がします。
未だにまともに完成品として製品化されていないのは169系900番台とサロ165ユニットサッシ改造車くらいでしょうか(笑)
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