〜特別企画〜

苦しかった3ヵ月半の闘病生活


  <お断り>

  本文は手術等の内容を含むため、本ページご覧の際は食事の時間帯を外してご覧になられる事をお勧めします



 このページは弊サイトの管理人である私 (クハ115-72) の2015年5月〜8月にかけての約3ヶ月半に亘る闘病生活の記録である。



 1.
撮り鉄すら出来ない

 2015年5月。

 寒かった冬が漸く終わりを告げ、いよいよ暖かくなってきた。

 しかし大型連休後半の頃からか、なんとなく体調がすぐれない。その状態のまま連休明けの仕事が始まった。仕事中も意味不明の体のだるさが続き、毎日定時退社 (会社の規定で、よほどのことがない限り残業はさせない) で帰宅しているのに体が異常に疲れる。当初は歳のせい?と思ったりもしていたが、それにしても疲れ方が異常である。この現象は日が経つにつれ、徐々に悪化していく傾向にあった。

 ヒガハスやワシクリで北斗星の最後の姿を撮影しておきたかったが、とてもではないがカメラ片手に線路沿いで撮り鉄出来るような体調ではなかった。

 6月に入り、本格的に暑くなってきた。仕事は屋外での作業がメインのため、ただでさえ暑さが身に堪える。暑くなった途端、体調が一気に悪化しているのに気が付いた。そればかりではない。仕事中突然気分が悪くなり仕事の手が止まる事が多発するようになった他、トイレに行って用を足していてふと見ると、異常に尿の色が黄色いことに気付いた。それもリンゴジュースのあの色の数倍も色が濃い。
 ここでただごとではないことに気付き、家でネットで色々調べていると『黄疸』の疑いがあることにたどり着く。さらに調べていくとその黄疸の原因が胆管内に発生する胆石や胆道がんであるという。


 洗面所の鏡の前で自分の顔を見ると、顔色がやたらと黄色い。そればかりか、目の白い部分まで黄色に染まっている。今までこんな自分の容姿を見たことがない。
 並々ならぬ恐怖感を覚えた。


 他に黄疸の症状で困るのは、言葉では説明できないようなほぼ全身に亘るあの痒みである。1日じゅう連続してどうしようもない痒さが襲っているわけでなく、ある時突然集中攻撃的に襲いかかってくる。特に夜にその傾向が強い。痒みが無くなるまで掻き続け、全身傷だらけになった。場所によっては傷が大きくなり出血まで起こしている。



 2.とりあえず病院へ

 6月15日。前週の6月9〜12日の4日連続で職場にて極端に体調が悪くなった事に鑑み、急遽仕事を休んで自宅から約7kmの所にあるかかりつけの総合病院を受診し『黄疸』らしき症状がある事を告げた後、生まれて初めてCTスキャンなる検査を行なった。検査の結果胆管部の結石は見られないが、 『念のため別の病院を紹介しますので改めて検査して下さい』 と言われ、翌日紹介状と検査データが入ったCD-ROMを持って自宅から約3.5kmの所にある某市立病院にて改めて検査を行なうことになった。


 6月16日。外来で診察の後、今度は造影剤を用いたCTスキャン検査を行なった。今回は前日のそれとはことなり造影剤を使用して詳細に患部を検査する。検査前に右腕の血管に点滴の針が挿入される。いよいよ検査が始まり右腕から造影剤を投入するのだが、大量の造影剤を相当勢いよく注入するため瞬時に体温が異常に上がり、検査中不快感を催す。

 検査終了後再度診察となり、ここで主治医から一も二もなく、


 『直ちに明日入院して下さい』


と言われた。

 その後の主治医からの話だが、自己判断で予想した黄疸らしき症状はやはり黄疸そのもので、病名は

 『十二指腸乳頭部腫瘍』

だった。

つまり、癌 (がん) である。


 それも悪性腫瘍との事だったが周辺のリンパ腺等への転移は見られず、初期の段階との事だった。この十二指腸乳頭部腫瘍の治療で根治が期待出来るのは唯一開腹手術のみであるという。

 がん治療といえば誰もが放射線治療とか、副作用の重い抗がん剤投与というイメージが常につきまとうが、私の場合は幸いにも初期段階であるため、結果として放射線治療と抗がん剤だけは免れる事が出来た。


 通常、胆汁は膵液と十二指腸乳頭部で合流し十二指腸に分泌されるものである。今回の黄疸はその乳頭部に腫瘍が出来てしまい閉塞し胆汁が流れにくくなってしまい、オーバーフローした分が血中に流れるために起きる症状である。前述のように皮膚や目の白い部分が黄色に染まってしまう他、尿の異常変色や食欲不振、容赦ない全身の痒みなどの症状が出る事で初めて黄疸の症状として自覚出来るものである。



 3.6月17日、入院へ(第1次入院)

 心の準備が完全でないのに入院へ向けて荷造りを行ない、スノーボード旅行用バッグに必要な衣類等を詰め込んだ。そして6月17日午前10時に入院受付を済ませて病床に案内されいよいよ入院生活が始まる。生まれて初めてのことだった。

 入院中は患者間違いを防ぐため氏名・血液型・患者ID番号およびIDバーコードが記載されたリストバンドを腕に装着する。診察・看護師からの処置等は全てパソコン管理されているためで、点滴等の投薬の場合は必ずスキャンしてパソコンからのOKが出なければ処置ができないのである。またこのリストバンドは一旦切り離したら再使用は出来ず、また退院までずっと装着し続けなければならない。

 とりあえず病床に落ち着いてふと窓の景色を眺めてみる。市中心部から直線距離で約5〜6kmしか離れていないが、病院周辺では田んぼしか見えない。病院より直線距離で約5km離れた所にあるさいたまスタジアムが小さく見える。

病棟ロビーから眺める浦和中心部方面 病床から眺める風景 さいたまスタジアムも見える





 病床に落ち着いて2時間が経過したあたりから、次々と検査が始まる。
 身長・体重測定に始まり、入院初日は心電図・腹部エコー・レントゲン撮影が行なわれた。

 翌日の6月18日は私の言葉で表現すると辛い入院検査の王様言いたくなる内視鏡的逆行性胆管膵管造影検査 (いわゆるERCP) の第1回検査・手術が行なわれた。

 これは分かりやすく説明すると通常の胃カメラ検査と似たようなもので、口から胃カメラを挿入し食道・胃はおろか十二指腸乳頭部 (胆汁の分泌される部分) まで到達させるかなり辛いものである。
 まずは乳頭部に細いチューブを挿入し、ここから膵管・胆管に造影剤を注入し胆道系結石・炎症、膵管系腫瘍等の病期の有無を診断し、レントゲン撮影する。次にそのまま手術に移行し、次の要領にて治療が行なわれる。


  1.十二指腸乳頭部切開術・・・乳頭を電気メスで切開して膵管・胆管の出口を広げる治療
  2.チューブ留置・・・・・・・・・・・・・ステントと呼ばれるチューブを膵管・胆管に挿入する
  3.バルーン拡張・・・・・・・・・・・狭窄した膵管・胆管をバルーンで拡張する(いわゆるカテーテル)


※以下3枚の画像は全て私の体内の画像である

これが大問題を引き起こしている十二指腸乳頭部

チューブを挿入したところ
大腸のようす 胃の内部




 上記の治療はすべて内視鏡 (胃カメラ) で行なわれる。これら一連の治療の所要時間は70分である。つまり、1時間以上胃カメラが入りっ放しである想像を絶する辛い検査である。また、前述2.のチューブは施術により内部に溜まった胆汁を排出させる役割を担う。これにより胆汁を胃・食道・鼻を経由して外に排出させる内視鏡的胆管ドレナージ治療 (ENBD) が始まった。これは出てくる胆汁がきれいになるまで続けられる。いつから胆汁が詰まりだしたかは不明だが、出てくる胆汁には凝固物 (沈殿物) が見られる。

 ドレナージは常時鼻から喉を通り食道・胃を貫いて十二指腸までチューブが挿入されているため、喉に異物があるような何ともいえぬ違和感を感じる。
 点滴と胆管ドレナージチューブおよび胆汁を貯める袋をセットした点滴スタンド (キャスター付) と共にする生活が始まった。


 まだドレナージが始まった頃は良かったが、なにせこのチューブは前述の通り鼻から食道・胃を経由して十二指腸まで貫いているので、食道と胃の蠕動運動の障害にもなっている。また検査が続いて絶食状態や食事が出てもほんの僅かな流動食が出るだけでまともな病院食が出ない状況が続いた。ドレナージのチューブを十二指腸まで挿入しているのと、ドレナージで胆汁を体外に抜いている影響が出てきて翌日以降徐々に食欲がなくなり体力が目に見えて衰えてきた。トイレに行くのも億劫になり、ちょっと歩くのにもしんどい状況となり立っているだけでふらふらする状態となる。入院初日に72kgあった体重も6月27日には62kgまで落ちていた。

←  点滴スタンド同伴(?)でエレベータ内で鏡に向かって撮影する管理人



 アロハシャツにスニーカーにサッカーソックス・・・点滴スタンドを除けばとても入院患者には見えない(笑)


 画像は2回目のERCPを受けてドレナージが外れた後のもので、点滴は1本のみである
 また右腕に緑色の物体が見えるが、これは自分の病床に備えられている簡易金庫の鍵である
  ↑ 胆管ドレナージが始まった直後の食事で、胃腸の様子を見るため粒状のものはない

重湯・清汁・ポタージュ・くず湯
腹にたまらない水ものばかり・・・



 6月19日〜21日はドレナージを中心とした治療が続く。

 6月22日。この日は大腸内視鏡検査である。私が2005年11月よりほぼ半年周期で行なっている下部内視鏡検査であり、大腸がんの元となる大腸ポリープを除去する検査・手術である。この日は朝から禁食となり、経口腸管洗浄剤 (いわゆる下剤) 2リットルをひたすら飲み続ける。服用してから40分を経過したあたりから便意を催し始め、便が完全に固形物を含まない水のような便になるまで続けられる。

 午後より肛門から内視鏡 (さすがに胃カメラよりは太い) を挿入し検査が始まった。従来より半年周期で検査・除去手術を行なっている成果が現れ、大きな問題はなかった。手術を行なうという前提のため、十二指腸以外にがんの症状が出てないかチェックする意味もあるのかもしれない。


 が、・・・

 夜就寝時 (深夜2時頃) より突然激しい腹部の鈍痛 (下痢のときの腹痛とは大幅に異なる) が起こり、ナースコール (ベッドに備え付けられている看護師を呼ぶための押しボタンスイッチ) で看護師を呼んだ。とりあえず処置をしてもらい2時間後になんとか落ちついたものの、これがきっかけで翌日 (痛み出した時点で午前0時を過ぎていたため実質上は当日の午前中) 臨時でレントゲン検査をはじめとした緊急検査を行なった。それ以外の日はドレナージ中心の治療が続いた。

  ← 上からぶら下がっている白い物体がナースコールの押しボタンスイッチ


 コードは長めであるが、引っ張ったりベッドをリクライニングさせている最中引っ掛けたりしてコードを接続しているコネクタがまれに根元から外れてしまう場合があり、コネクタが外れると回路の絶縁を検知しすぐにナースコールが作動するシステムになっている



 6月25日は通常の上部内視鏡検査 (いわゆる胃カメラ) が行なわれた。手術を前提とした胃カメラ検査でERCPの時には見られなかった (通常の胃カメラとERCP用の胃カメラはレンズの向きが異なっている) 潰瘍等の病変が無いか確認するためである。
 胃カメラといったら誰もが思いつくあの不快感 (オエッとなるアレ) のイメージがあるが、今回もそれに悩まされた。

 入院以来上から下から内視鏡で徹底的に検査を行ない、消化器で内視鏡検査を受けていない部位は小腸のみとなる。



 4.2回目のERCP

 胆管ドレナージ治療も順調に進み、6月27日を過ぎたあたりから出てくる胆汁も沈殿物等もなくなってきれいになってきている。

 6月30日。6月18日より挿入しっ放しだったチューブ (ENBD) を抜くため、2回目のERCPが行なわれた。やはり胃カメラを1時間以上入れたままの検査・手術である。
 1回目のERCPの時は事前の医師からの説明を聞いただけでイヤでイヤで仕方なかったが、今回はあのうっとうしい鼻からのチューブが抜けるということもあり、素直に受け入れるしかなかった。2回目のERCPではチューブを抜いた他、カテーテルを新しいものに取り替えたようである。

 主治医から話は聞いていたのだが、チューブが抜けた途端食欲が劇的に回復するのだという。2回目のERCPを受けた6月30日現在ではまだ食欲が回復せず、果たして本当なのだろうか???と内心思っていたが、翌7月1日からがその通りとなってきてやっと病院食がまともに食べられるようになった。主治医からは特に食事制限は出されておらず病院食は常食メニューである。今まで半月に亘り食欲がなく、まともに食事さえ摂れてなかった反動がここへきて一挙に出てきて以後、病院食だけでは満足しなくなり1階外来の脇にある売店に行っては何かしら買ってきては間食を繰り返していた。



 5.仮退院、再入院、そして手術・・・の予定だったが

 食欲が回復し体力が徐々に戻ってきたのは自分でも分かっていた。そこへ突然、主治医より外泊 (自宅待機) の許可が下りる。7月2日の事だった。7月6日に手術前の胃カメラ検査が控えていたので7月2日〜5日の期間限定で自宅へ戻ることになった。
 またこの日、胃カメラ検査後の7日に仮退院・17日に入院、そして7月21日の手術が決定した。いよいよ一旦自宅へ戻れるのと同時に手術へのカウントダウンが始まった。自宅待機中はとにかく手術へ向けて体力をつけることに重点をおき、適度な運動と食事を普通にとる事に留意した。暫くは自宅での静養が続く事となり、心底ホッとしたのが正直なところだった。また、7月10日は手術について家族向けの説明会を行なう予定であった。


 6.急遽転院へ

 7月9日、全ての検査結果が出揃った頃であった。21日に予定していた手術は埼玉県内でもがん治療に関してはトップクラスと思われる県立病院 (どこの病院か大体想像がつくと思いますが・・・) で行なうという方針転換が出され、7月7日の仮退院後県立病院への転院が正式に決まった。これにより、21日に予定されていた手術は延期された。

 県立病院での診療は7月14日が初診となり、この日は身長・体重測定・心電図・腹部エコー検査が行なわれた。今までの市立病院における検査データは全てCD-ROMに収められ県立病院で活用されることになり、ERCPをはじめとした重複検査は免れる。
 県立病院での手術スケジュールが決まるまでは自宅待機・外来診療による治療のみが続けられる・・・はずであった。



 7.予期せぬ高熱 、県立病院に緊急入院へ(第2次入院)

 7月16日夕方、なんとなく寒気がすると思って熱を測ったら38℃もあった。熱が下がる時は大量の汗をかくのでこれに備え水分を多めに摂り、氷枕を用意しこの日は早く就寝した。

 ところが、翌7月17日6時頃異常な体温に気付いて目を覚まし、すかさず体温を測るとなんと39.6℃もあった。40℃近くもあるではないか。自分でも胆管炎を疑った。時間を見計らって病院に連絡し、急遽診療予約を入れてもらう。なんとか午前中空き時間の隙間に滑り込むことが出来たが、自分の運転で病院に向かうことは不可能なので (自宅から実走距離で約15kmある) 家族の人に応援を願う事となった。

 県立病院には午前中に到着し、早速外来診療で診てもらった。主治医よりいきなり、

 『今日入院して下さい』

 入院なんて全く考えておらず、着替え等の準備は何もしていない。
 とりあえず病床に案内され5階の住人となった。やはりここでも患者管理用のリストバンドを装着する。

 病床に落ち着いてから周辺の景色を眺めてみる。さすがにJR大宮駅から北へ10km、そして自宅から直線距離で約14km程度離れており、見える景色のうち森林の比率が90%を超える。
 だがしかーし・・・


 この病院の場合、すぐ脇に新幹線が走っているという特典 (?!) がある。病院の南方約1kmの地点に東北・上越新幹線の分岐点があり、新幹線以外にも埼玉新都市交通 (ニューシャトル) がほぼ10分おきに走っている。自分の病床からは上越新幹線が僅かに見えるだけだが、病室から出て少し移動しエレベーターホールにあるロビーへ行くと大宮方面を一望できるスペースがあり、東北・上越新幹線ばかりか大宮ソニックシティ・さいたま新都心までハッキリ見える。 比較的体調のいい時にコンデジ片手に病院内で撮り鉄ポイントを探し、撮影してみたのが以下の画像である。


大宮方面が一望できるロビーより

画像では判りにくいが、画像左側中央には上越新幹線が、さらに先には東北新幹線の高架線が見える
大宮・さいたま新都心方面を見る 上尾市中心部を見る




 入院中でも新幹線列車群の撮り鉄は出来る・・・

 (以下3枚とも病院内にて7月27日撮影)

上越新幹線上り線を通過するE2系

上り線の下に見える高架線は上越新幹線下り線

ちょうど東北との分岐点を通過するところで新幹線高架の中でも最も高い所を通過する
手前のE7系は上越(北陸)新幹線、
奥に見えるE5+E6系は東北新幹線
東北・上越の分岐点付近

画面中央に見える架線柱の密集している所の下あたりにJR新大宮変電所がある

密集している架線柱は実はヒガハスからも見える




 また余談ではあるが、私が病院内に入ってまず驚いたのは病院内にファミマがあることである。さすがに24時間営業ではない。朝は7時にオープンするので、外来診療受付が始まるまでの僅かな時間帯は来客は全て入院患者という状況になっている。
 また街中のファミマとは異なり、入院や手術等で必要な紙おむつや腹帯等の小物類まで扱っている。病院内は他にもお見舞いに来た人のためにカフェやレストランがある。




 また、埼玉県立の病院なので館内のあちこちでコバトン (埼玉県のマスコット) が大量に棲息している。







 さて、ずっと景色を眺めている訳にもいかず本日中に検査がある。その検査とは・・・なんと3回目になるERCPである。
 実は去る7月14日のレントゲン検査でカテーテルの若干のズレが確認されており、今回は決定的にずれたのではないかという。同時に胆管炎も疑われた。

 3回目のERCPということで、脳裏ではやはりあの特有の辛さがよみがえる。前述の通りカテーテルのズレによる胆管炎が疑われていたので、とりあえずこの体調不良が治せればという思いから2回目のERCPの時と同様、率直に受け入れざるを得なかった。

 気分が悪い中17時から検査が始まり、まずはノドへの麻酔スプレーである。体調が悪い中での麻酔スプレーであり、麻酔した途端さらに気分が悪くなった。このため検査開始が約10分遅れた。

 手術は45分で終了した。私が最も恐れていた胃カメラ挿入時のあのオエッとなる嘔気は発生しなかった。強い全身麻酔のため自力で病床へ戻れず担架のような寝台の上で寝たままで自分の病床へ搬送され、看護師さん4人掛りで病床ベッドに移された。
 その日と翌日の朝食は禁食で7月18日昼食より食事が再開された。前日の内視鏡の影響が残り、食欲はない。だが、採血の結果 (総ビリルビン値) および平熱が安定してキープ出来れば即退院出来るとのことであった。

 7月19日朝8時、朝食直前に採血があった。この頃には食欲が回復し、平熱もほぼ順調にキープ出来ていた。9時頃採血の結果が出たらしく、主治医より退院の許可が下りた。
 早速荷物をまとめ、退院の準備を行なう。都合2泊の検査入院といった感じであった。この時点で手術が8月6日に決まり、それまで引続き自宅待機・外来診療で過ごす事になった。


←  7月18日午後からの点滴は1日2回の抗生剤のみ(1回に付き20分程度)となった

 そのため点滴を行なわない時間帯は画像のように針を刺したまま、点滴を外しチューブのみとなり血液凝固防止の薬剤を注入後、端部はキャップで栓をして腕に束ねられる



 8.初めてのMRI

 退院後は通常の外来治療に戻る。退院から1日置いて7月21日はMRI検査であった。MRIはMagnetic Resonance Imagingの略で、核磁気共鳴画像法という。要はMRI装置自体が巨大な超高磁場電磁石で、3.0テスラの磁束密度を持つらしい。

 判りやすく説明すると、工事現場で先端部に電磁石のアタッチメントが付いていて、かなり重いくず鉄等を吸いつけてトラックへ運搬するパワーショベルがあるが、要はあれの数十倍の磁束密度があるとのことで、検査室内は磁石にくっつくような金属類の持込は一切出来ない。心臓ペースメーカ・刺青・化粧品・シップ (貼り薬) も不可である。銀行等の磁気カード・カセットテープ類は中のデータが消去されることでこれも持込不可である。

 14:45分よりMRI検査が始まった。MRI検査にあたっては閉所恐怖症ではない事が大前提で必須条件である。担当医師の話によると、閉所恐怖症の患者がMRI検査を行なおうとすると、頭がMRI装置のあの狭いトンネルの入口に達した時点で恐怖心のあまり全身で拒絶を訴えて検査が中止する場合があるとの事である。MRI装置のトンネルの中に入ることさえ出来ればOKだそうである。

 さて検査台ベッドに上がり、MRI装置の狭いトンネルの中に体がすっぽりと入り検査がスタートした。体の部分でMRI装置の外に出ているのは足首から下の部分だけである。MRIを経験された方はご存知の事と思われるが、最大の特徴は検査中高磁場発生中に発するあのノイズである。これは磁場発生用コイルがローレンツ力によって振動するためである。検査室の外で待機中、前の患者さんのMRI検査中の音がもろに聞こえるほどの大音響で、初めての私としてはこの音を聞いただけで心臓がドキドキになってくる。検査中はヘッドホンを装着する。


   <参考>

    MRI装置から出る音 (YouTubeサイトに別ウィンドウにてリンクします。また音量にもご注意下さい)


 とにかく、ヘッドホンを装着していても工事現場に居るような激しいノイズである。

 ちなみにこの病院のMRI装置はコーヒーメーカで有名なPHILIPS社製である。検査中ヘッドホンからは担当医師からの指示が出され、『息を吸ってください』 『息を吐いてください』 『そのまま息を止めてください』等の指示が入る。息を止めた状態で大音響の環境下で高磁場にささらされるのは1回に付き10〜15秒でその間30〜60秒間の休憩が入りこれが数十回繰り返されるが、息を止めない場合もある (検査の合間に休憩が入るので検査中ずっと大音響に悩まされ続けるわけではない)。高磁場にさらされるため検査中頭痛を催したり、静電気のように全身の毛が総立ちになる場面もあった。

 ヘッドホンで指示が出される以外は音楽が流されている。心が落ち着くような (とてもそんな状況ではないが) 癒し系のピアノやチェロによるクラシック系かイージーリスニング系の音楽が流されている。ある時突然、坂本龍一の『戦場のクリスマス』が流され、続いて、バッハの『Cello Suite No.1 i-Prelude』が流された。検査の最中私は驚いてしまった。随分粋な計らいだな・・・とも思った。

 MRI検査は45分かかり、やっと終わった・・・というのが正直なところであった。決して楽な検査ではない。
 次の順番の患者さんも私の検査時の音を聞いて不安になったようで、検査室から出てきた途端どういう状況なのかしきりに質問される場面もあった。県立病院で予定された検査がほぼ終了し、後は手術まで引続き自宅待機・外来診療で過ごすはずであった・・・



 9.(第3次入院) いきなり2回目の高熱 、激しい嘔吐、そして・・・

  7月23日。自宅で静養中であったが、午前中から何となく寒気がしたので体温を測ったら37度台であった。とりあえずベッドにて横になって1時間後、再度体温測定したらいきなり38度台半ばであった。
 さすがにこれはやばいと思い急遽県立病院へ連絡した。全く食事を摂る事も出来ず、家族に車を手配し午後1時頃這うように病院へ向かった。何故か前回7月17日の高熱の時よりも数段体調が悪い。


 受付を済ませ、外来診療を受ける。診察の結果即入院が決まり、17時より4回目のERCPおよびENBDを受けることになった。
 診察後気分が徐々に悪くなり、処置室にて16時30分頃までの2時間程度処置室のベッドにて休憩させてもらった。その後自分の病床に行き、ERCPの準備を行なう。この時までに相当気分が悪くなっており、病床ベッドでの準備もままならない。気分が悪く体が自分の思うままに動けなくなり看護師さん数人で手伝ってもらう。体温を測ったら39.9℃という異常なまでの高熱を出していた。その間も看護師による検査準備がテキパキと行なわれる。


 『横向いて下さい』
 『寝ながらでいいので検査着に着替えてください』
 『お尻を上げて下さい、お尻の圧力を測定しますよ』 (入院中における床ずれ防止のために行なわれる)
 『こちらの担架に移動しますけど動けます?』
 ・・・etc.


 とてもではないが気分が悪くて体が動かない。高熱のため意識は朦朧としてきてちょっと動いただけで吐きそうである。この時腕に点滴を刺す処置も行なわれていたがどうもうまくいかないらしく場所を変えて何回も刺された。正直いって相当痛い。普段はやさしい看護師さん達も、流石にこの時ばかりは鬼のように見えた (マジで)。とりあえず準備は完了し、私は担架みたいなベッドで横になったままベッドごと運ばれエレベータに乗り内視鏡検査室へ向かった。

 前述の通りERCPおよびENBD挿入は胃カメラで行なうため、開始前に全身麻酔用の点滴を刺し、同時にノドに麻酔を行う。全身麻酔が効き始めたまさにこの時であった。体調が極端に悪かったせいなのか、全身麻酔の副作用の影響なのかは不明だが、内視鏡検査室で突然激しく嘔吐した。空腹時であり、黄色い液体を戻した。その後間もなく全身麻酔の影響で意識を失う。

 そのままERCPに入った。私は麻酔の影響で記憶に無かったが、後から看護師さんに聞いた話によるとERCPを終えた後も数度嘔吐していたようである。
 麻酔の影響でハッキリとした記憶はなかったが、ERCPを終えて気がついたら既に自分の病床に戻っていた。嘔吐を繰り返していたらしく体はぐったりとしていた。

 最悪の状況はその後も数時間続き、漸く落ち着きはじめたのは21時を過ぎてからであった。気付いたら胆管ドレナージ (ENBD) の管が再度鼻から挿入されていた。同時に点滴も始まり毎日のように生理食塩水の輸液が行なわれる。
 自宅待機方式による胆管カテーテル治療は2度も失敗したため自宅静養および外来通院は無理と診断され、このまま手術まで長期入院することになった。ちなみに1日に分泌される胆汁の量は平均で600mlと言われており、私の場合は胆管ドレナージで排出量を測定すると1日で1000ml以上出ていた。意外とこれが胆管トラブルを引き起こす原因だったのかもしれない。


 7月23日の体調不良は翌日朝までになんとか治まったが、しかしこれから約1ヶ月に亘り治療の苦しさ・辛さにひたすら耐え続ける事になる。

 前述の某市立病院の場合と同じく腕にはリストバンドが巻かれ、治療の経過は全てパソコン管理である。看護師1人にノート型パソコン1台が割り当てられ、投薬の場合は患者のリストバンドのIDと投入する薬剤に貼られたラベルに印刷されているバーコードをスキャンして照合しパソコンからのOKが出ないと処置出来ないシステムになっている。診察・処置もリアルタイムで記録され、パソコンは全て無線LANで繋がっているようである。
 看護師から聞いた話では普通のパソコンで、Windows付属のゲームも出来るらしい。


  7月24日から暫くはドレナージ治療が中心であるが、これは手術に向けて弱まっていた肝機能を回復させるためであり、回復させないと手術が出来ないのである。
 最初はなんとか耐えていたが、前述の通り時間の経過と共に徐々に食欲は落ちていった。病院食は7月24日以降は常食メニューであったが、主食のごはんは完食出来なくなり止むを得ずうどんに変えてもらった。病院食の変更は診察や治療に影響が出ない限り基本的には可能である。


 7月30日、入院患者の男女バランスに差が出た関係で、急遽病室を移動することになった。ベッド・テレビ・ロッカーの3点セットごとそっくり移動する。一般病室は4人部屋で男女別となっており、1つの部屋で男女が相部屋となることはない。
 参考までに個室もあるが、個室はナースステーションの近くに集中しており部屋ごとにバス・トイレ付きで、料金は1日に付き約10、000〜25、000円 (部屋によりバスの有無など一部仕様が異なるため料金にばらつきがある) である。公的保険の適用にはなっておらず、個室料金は全額自費である。



 10.手術説明会

 手術を8月6日に控え、8月1日には家族を呼んで手術に関する事前説明会が行なわれた。

 何を言われるか正直怖かったが、医師からの説明で私の予想を遥かに超越する大規模な手術と判り愕然とした。しかも、場所が悪く癌部分だけの除去ではだめで膵臓を一部切り取り、胃の一部と十二指腸の大部分の摘出、および胆嚢の全摘が必要である事も判った。私はこの説明を聞いてショックだった。
 その後数日間この事で頭がいっぱいとなり、食事も満足に摂る事さえ出来なくなってしまった。

 また、がんの進行度はステージTbと診断され (十二指腸乳頭部がんの進行度は初期の段階から順にステージ0・Ta・Tb・U・V・Wの6段階で表される)、辛うじて初期がんの範囲で留まっていたようである。


 8月4日。手術の前準備がいよいよ始まり、まずは股間にある動脈からの採血が行なわれる。 股間付近に針を刺すのでかなり痛い。

 8月5日。手術前日となり、この日は手術準備のため朝から忙しい。手術のための腹部の剃毛から始まり、次に体を清潔に保つためにシャワーを浴びる (この日から術後最低でも10日程度はシャワーが出来ない)。そしてその後手術用の点滴 (カテーテル) を刺すのだが、なんと首の動脈に針を刺す。何せ、生まれてからずっと首に針など刺した事はないため、処置している間はとてつもない恐怖心に襲われた。

 処置後は間違いなく動脈にカテーテルが刺さっているかを確認するため、レントゲン撮影が行なわれる。
 そして術前最後の準備として大腸内視鏡検査の場合と同様、経口腸管洗浄剤 (いわゆる下剤) 2リットルを飲んで、消化管全体に亘り食物がない状態にする。これも術後数日間はトイレに行かれないためである (人によっては下剤が上手くいかないケースがあり、この場合浣腸を施しそれでもダメな場合は大人用おむつを装着する事もあるとのことである)。
 私は点滴をしながらの下剤だったため若干便が出にくくなる等の影響が出たが、翌日朝までにほぼ完了している。

また、8月5日の朝以降絶食となった.。


 ←  首に点滴を刺した様子



 手術中および術後における麻酔・点滴等は全てここから投入する
 そのため術後は腕からの点滴は一切なく、腕は自由に動かせる


 手前に見える緑色のチューブは胆管ドレナージで、チューブは耳と鼻の部分でテープで固定され、鼻から入り十二指腸乳頭部まで挿入している



 手術前における一通りの処置が終わると手術室看護師が病室にやってきて手術の段取り・流れに関する説明を受ける。続いてICU看護師も病室にやってきてICUでの生活について色々と説明を受ける。私の場合は手術の規模が大きく、ICUは2泊と告げられた。さらに下見を兼ねてICUを見学する。

 ICUとはIntensive Care Unitの略で、集中治療室の意味である。
 ICUを初めて見たが想像以上に開放的で、室内は隣同士の仕切りはあるものの圧迫感は全くない。1人あたりの占有面積は6畳くらいであろうか。ICUにある各ベッドからは時計が見え、窓も大きいので私が懸念していたICU症候群は心配なさそうである。


 8月5日21時以降は水を飲むのも禁止となり、手術前夜は緊張して眠れない事が予想されたため生まれて初めて睡眠薬を飲んで寝た。



 11.いよいよ手術当日

 8月6日、手術当日である。

 朝8時頃までに家族に集まって頂いた。手術は9時30分からであるが、準備があるので9時に手術室に入った。

 手術室に入ってまず感じたのは部屋の雰囲気およびデザインが自分が思っていたのとだいぶ異なっていた点である。よくテレビのドラマに出てくるような 『いかにも手術室!!』 といったイメージが全くない。手術室のデザイン・機器類の設計も時代と共にかなり変化している。 手術台の真上にある照明ライト (無影灯という) も昔はおなじみの円形5〜7連ライトというイメージが強かったが、現在では灯具全体が光るLED照明が主流である。


 まずは執刀医・手術室看護師の方々に深々と礼をして 『どうぞ宜しくお願い致します』 と挨拶する。その後手術台に上がり横になり仰向けになる。その後横向きになり背中を消毒後、局部麻酔注射を行ない背骨周辺に硬膜外カテーテルを刺す。ここから痛み止めの点滴が入る。背中を押されながらカテーテルを刺すため、麻酔しているとはいえ処置中はかなり痛い。背中の一連の麻酔処置が終了すると再び仰向けとなり、両腕は真横に開いた状態でベルトで固定される。

 それとは別に手術本番用の全身麻酔が首からの点滴経由で投入され、私はすぐに眠りに入り手術が始まった。

 約7時間の長丁場であった・・・


 今回の手術により胃の一部 (幽門部の4〜5cm程度) と膵臓の一部、十二指腸の大部分が摘出となった他、胆嚢は全摘となった。






 『○○さん(私の名前)、手術が無事終わりましたよ』

 この声で私は目を覚ましたが、既に手術室を抜けて隣りにあるICUに移動していた。

 『足を動かしてみて下さい』 医師が手術麻酔が無事に切れた事を確認する。この時点では私はまだ意識が朦朧としていた。暫く時間が経ち、はっきりと意識が戻った段階で手術が終わった事を知ることとなった。

 しかし、体が思うように動かない。それもそのはず、手術直後なので痛くて思うように動けず (寝返りすら出来ない)、ベッドの上で金縛り同然であった。更に鼻には酸素マスクが取り付けられ、体には点滴3本、尿管および体液ドレン排出用のチューブ4本の合計7本が体に刺さっていた。また血栓防止のため脹脛のマッサージを行なう器械が両足に装着されている。

 手術が終わって何時間か経過し、以降時間の経過と共に手術用の麻酔が徐々に切れ始めるがここから先が想像を絶するほどの試練の場であった・・・



 12.術後の苦しみ、術後の激しい痛みは誰もが避けては通れぬ茨の道

 手術も無事終わり私は意識を取り戻した。手術麻酔が徐々に切れ始める・・・ということは、ここから暫くの間は激しい腹の痛みに悩まされる事となる。

 術後の痛みも現在の医学や麻酔の飛躍的な進歩により昔と比較するとだいぶ軽減されていると聞くが、私の場合は手術規模が大きくこの概念は通用しなかった。痛みは大きく分類して傷口の痛みと腹内部の吻合部の痛みの2つがある。いずれか片方のみ痛む場合はまだマシな方だが (単独でも相当痛いヨ!)、これが両方ハーモニーで痛み出すととんでもない七転八倒の激しい痛みとなる。



 背中からの痛み止め点滴とは別に痛み止め用の薬を首からの点滴経由で投入する。効いている間な比較的落ち着くが、これが一旦切れると激しい痛みが私を襲う。痛み止め (首からの点滴) はかなり強い薬のようで前回投入時から8時間以上あけなければ新たな痛み止めが投入できない。痛み止めは8時間も持続せず、昼夜構わず苦しんだ。呼吸が異常に荒い。とにもかくにもあまりの痛みに耐え切れず何度もナースコールで看護師を呼んだ。処置が出来ず意味がないのは分かってはいたが・・・


 背中からの痛み止めはあまり効いているような感覚はなかった。ICUでの時間の経過は極めて遅く、ICUでの2晩は全く眠れなかった。

 手術の傷口を保護するためガーゼを貼っているが、体液がにじみ出るため定期的に交換する。ここで傷口を見るとみぞおちからおへその下にかけて約20cmくらい切っており、傷口は30ヶ所以上医療用ホッチキスで留められていた。


 手術翌日からは手術部分の癒着および腸閉塞防止のためのリハビリ (訓練歩行) が始まる。まずは5m先にある洗面所まで歩き歯磨きを行うが、当然ながら痛みが激しく、歩行困難なので初回はベッドから車椅子に乗り換えて洗面所に向かう。痛みに苦しんでいた時は鼻呼吸では間に合わず口で呼吸をしていたので口の中が異常に乾き、粘膜が荒れていた。水はまだ飲めないので吸い飲みを使用して口に含むだけである。

 術後2日目は自力で歩いて洗面所に行った。なにしろ痛くて半端ではないしんどさである。この日、腕に刺さっている点滴2本が抜けた。
 ベッドに居る間は痛くて自由に寝返りが出来ない。更に腹に大きな負担がかかるので大きい声すら出せない。また誤ってナースコールを離してしまい、自力で拾いに行けない所へ行ってしまうとにっちもさっちも行かなくなるのでナースコールだけははひたすら握り続けていた。

 一番困ったのは手術で腹筋および神経を切断したため、腹筋に力を入れることが出来ずくしゃみ・咳の類が出来ない事である。くしゃみ・咳をすると腹に激痛が走るため出そうな時はひたすら我慢 (耐える) しかなかった。


 術後の吻合状態を確認するためレントゲン撮影を行なった。可搬式レントゲン撮影装置を使用するのでレントゲン室に行かずにICUに居ながら撮影が出来てしまう。これは術後直後で移動・撮影が困難だからである。私の体とベッドの間に鉄板を敷き、キャスター付移動式レントゲン装置をセットしてベッド上で寝たまま撮影を行なう。 レントゲン装置は図体がでかく重そうで、医師・看護師数人でゴロゴロ押して搬入する。


 痛さがほとんど改善されていないのに予定通り術後2日でICUを後にし、一般病棟に戻ることになった。心の中では 『まだかなり痛いからもう1泊させてくれ〜』 と言いたかったが・・・



 13.手術・ICUという最大のヤマを乗り越えて・・・

  8月8日昼頃からは一般病棟に戻り、痛さに耐えながらも手術前と同じ環境で過ごす事となる。前述の前回投入から8時間以上置かなければならない痛み止めであるが、看護師にお願いしてなるべく21時前後に投入出来るようタイミングを見ながら行なっていた。これで夜は多少は痛みが軽減され就寝しやすいと考えたからである。
 まだ痛みは激しいものの、ICUの時と比較すればある程度自由が利くようになっている。手術前に鼻から挿入されていた胆管ドレナージの管は今はなく、これだけでも多少は楽である。

 私が恐れていた術後における手術中の全身麻酔の副作用のひとつである吐き気・嘔吐の症状が出なかったのは実に幸いであった。

 この頃から徐々にではあるが、胃腸が動き始めた。食事はまだ再開されていないので空腹時のような腹がグーっとなる状況が頻発するが、コレが実に厄介者で胃腸が動く度にベッド上でただ横になっているだけで激痛が走る。自律神経の制御で動くので自分の意思でコントロール出来ないだけに大変であった。看護師が定期的に様子を見に来ては腹に聴診器を当てて、『腸が活発に動いてますね〜』 と安心した顔して言うのだが、半定期的にやってくる激痛だけは薬は効かなかった。

 術後の経過を診るため、ICUから一般病棟に戻って以降、1日おきにレントゲン撮影を行なう。レントゲン室は1階にあり、そこまでの自力歩行は困難なので車椅子での移動である。

 レントゲン撮影であるが実はこれがかなりの難儀で、最初は立った状態で3方向から撮影する。ここまではいいのだが・・・

 次は寝た状態で撮影する。ここからが大変で、レントゲン室にある検査台はまっ平で病床のベッドとは異なり電動式でリクライニングしない。病床ではこのリクライニング機構があるおかげで寝たり起き上がったりするのが比較的容易である (ただし、どうしても痛みは発生し動きが制約される傾向はある) が、レントゲン室ではこんなお膳立てがないので寝る・起き上がるは自力で行なう必要がある。当然自力では双方とも激しい痛みを伴なうため、レントゲン技師や看護師の助けを借りての撮影である。寝るのも起き上がるのも 『痛てててて・・・!!!』 と騒ぎながら寝る・起き上がるだけで各々3分以上かかり、レントゲン撮影だけでも10分以上かかる大掛かりなものとなる。健康体であればこの動作はほんの数秒で済む事だが・・・



 8月9日。背中の点滴と尿管のドレン計2本が抜かれ、体に刺さっている管は3本となった。尿管が抜けたので今後はトイレは自力で行なう事となる。トイレまでは距離がありイヤでも歩かされる。どうやら術後はイヤでも歩かされるシステム (?) になっているようだ。術後の構内試運転といった感じである。

 術後の癒着および腸閉塞の発症で再手術になるのは意地でも避けなければならないので、点滴スタンドを杖代わりに痛みを我慢しながらも1時間に1回のペースで歩く事だけは続けた。痛みを我慢しながらの歩行なので1ノッチまでしが入れられない(笑)。寝ている状態では普通に会話が出来るが、立っている時は腹に負担がかかり相当痛むので会話は言語障害並みに困難となってしまう。


 手術後一貫して食事は出なく、点滴で栄養分・水分を補給している。

  ← 『食事は食べられません』

  病院での楽しみが100%奪われたような気分(笑)


さらに8月11日には腹からのドレン1本が抜けて残り2本となった。

 また、8月5日朝からずっと続いていた絶食が6日振りに解除され昼食より食事が再開されるが、主食は重湯で若干の生野菜等がおかずとして盛られた。しかし医師からの指示により全てを食べる事は許可されていない。食べても3割程度に抑える必要がある。また通常の食事よりもよく噛んでゆっくりと食べる必要があり、ある程度体が慣れるまでは食べる練習といった感じである。
 手術後初めての食事だったので胃腸に刺激を与えぬよう恐る恐る食べていた。

  ←手術後初の食事





 8月12日。主食が三部粥にランクアップされた。重湯よりも若干粒があるといった程度である。

 8月13日、術後7日で体に刺さっているチューブおよび手術前日より首に刺さっていた点滴が抜かれ、これを以ってすべての管が抜けた。また食事の主食が五分粥に変更された。

 ところが・・・

 夜になり熱が39度まで上がってしまい、看護師からの処置を受けた。熱は数時間で収まりホッとしたが、突然高熱が出た事に伴ない翌日は臨時で採血および造影剤CT検査を受ける事となった。 8月15・16日は治療面での動きは無く、経過観察のみ行なわれた。
 また毎週日曜日は体重測定の日になっている。8月16日に測定してみたが63kgで手術前 (8月2日測定) とほとんど変わっていない。入院生活が長く、腕や足の筋肉はだいぶ落ちていた。あまり有難くないダイエットである。
 更に点滴がなくなったため、8月14日以降のレントゲン室への移動は点滴スタンドを杖代わりにしながらもリハビリを兼ねて半強制的に自力回送で移動することになった。

 ←お盆期間中
  絶好の鉄日和なのに出かけられないこの空しさ・・・

  (8月15日撮影)



 8月17日朝、トイレに行くため起き上がったら、チューブを抜いた腹の傷口から膿が大量に出る。驚いて看護師を呼んで処置をして頂いた。しかしこれまで痛みに悩まされていたのがこれで大幅に改善された。
 その後の診察で、13日に起きた高熱はこの膿が原因であることが判明した。

 8月13日に全ての管・点滴が抜けて身軽になっていたが、痛みだけはどうしても改善されず点滴が不要になってからも何処に行くにも点滴スタンドを杖代わりに使用していた。しかし、膿が大量に排出され痛みが大幅に改善された事で点滴スタンドなしでなんとか歩けるようになったのは全くの予想外だった。


 8月18日。 この日、傷口を留めているホッチキスのうち約半数が抜かれた。また傷口を清潔に保つ事も兼ねてシャワーが再開された。
 傷口はまだ塞がっていない状況ではあるが翌日の19日、余程のことがない限り8月22日退院との報告を受けた。『やっと帰れる・・・』 心底ホッとした気分であった。この時点で痛みはかなり改善されていたが、それでも局部的に痛みは発生する。



 8月20日からは退院に備えて心の準備と体を徐々に慣らすため外出を始めた。いよいよ公式試運転(?)である。

 何せ今まで約1ヶ月の間、温度・湿度がコントロールされた病院内での生活で、7月23日の入院日以降一度も建物の外に出ていなかった。

 実際に外に出て歩いてみる。お盆期間を過ぎたため異常な暑さではなかったが、それでもかなり湿度が高い。今までいかに快適な環境で過ごしていたかがわかった。
 とりあえず外の環境に体を慣らしながら適当に撮影してみる。


  ← 病院に姿を現す路線バス


 ここからはJR高崎線上尾駅に向かう朝日バスとJR宇都宮(東北)線蓮田駅に向かうけんちゃんバスの2系統がある
 (上尾駅方面のけんちゃんバスは現在運休中)


 この他に地元のコミュニティバスもある



 8月21日は退院前の最後の検査が行なわれ、特に異常な数値は認められなかった。手術の傷はまだ完治しておらずホッチキスが10ヶ所以上留まったままであるが、予定通り8月22日に退院出来そうである。

 今回の手術により、私の体に 『平成27年 修繕』 の楕円銘板が追加された(笑)



 改めて思った。

 早期発見さえ出来れば、癌は克服出来る



 そして8月22日午前10時、無事退院の運びとなった。ナースステーションでリストバンドが切り離され今までお世話になった看護師の方々と固い握手を交わし、病棟を後にした。

 病院の玄関を通り過ぎ、改めて病院全体を眺めてみる。これまでの約2ヶ月間の闘病生活が思い出される。
 6月17日の入院からこの日までの2ヶ月間は私にとって想像以上に長く、辛く、苦しかった。それでも一生懸命私のために尽くして下さった主治医・看護師の方々に対する感謝の気持ちだけは忘れなかった。


 退院後は県立病院での定期検診を3箇月ごとに行なう事が必要であり、定期検診自体は2015年10月から始まった。血液検査・造影剤CTは毎回必須であるほか、年1回は必ず胃カメラ検査の予定が組まれる。今後はがんの転移を防ぐためにも今までよりは検査メニューが増えてしまうかもしれないが、引続き定期検査を受けていかなければならない。また日常の生活においても便の色・形状や尿の異常に常時注意して管理する必要がある。
 また腹筋を切っているため、体が完全に復活するのは術後2〜3年程度はかかる見込みである。




 今回の入院生活にあたり、これまで大変お世話になった某市立病院および某県立病院の主治医・執刀医および看護師の方々に対し改めて感謝・敬意を表するとともに、これは私個人のみならず今回の闘病生活にあたり深い理解・協力をして頂いた家族・親戚・友人等全ての方々のおかげで乗り越えられた賜物であると強く確信するものである。




〜おわり〜

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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