今回は1987(昭和62)年第1部の続きです。
まだこの頃は民営化したという実感はありませんでした。




61-11改正で登場した高崎線大宮発着の普電で、211系5連です。

このような短編成の普通列車は民営化最初の63-3改正でも高崎線でのみ池袋発着の1往復が残りましたが、平成元年3月11日の改正(新宿・渋谷駅に国鉄〜JR初の発車メロディ導入)で10連となり大宮で見れる短編成は姿を消しました。

画像はトリミングを行っています。
上野駅16番線に停車中の『ひたち』

現在この場所は上野駅の再度の人口基盤増設のために真っ暗になってしまいました。
2004年10月改正で消滅してしまった『すいごう』です。露出調整に失敗したためヘッドマークが潰れてしまいました。

57-11改正で急行を格上げした列車でしたが、いつの間にか東京発になってました。
ここからは東北線の画像です。私の白坂初遠征のものです。

黒磯駅上りホームでの画像ですが、まだ国鉄当時の雰囲気が濃厚に残っています。
新前橋区165系を使用する臨時急行『くろいそ』です。
60-3改正で『なすの』の愛称を新特急に取られてしまったため、『くろいそ』の愛称が復活しました。
しかし、新特急自体の利用客が減りつつあったため、この臨時急行も知らない間に運転されなくなりました。

隣りの115系に見える側面行先表示器は使用されていません。
画像では判りにくいですが、旧塗装です。

この編成も私が撮影した約1ヶ月後に新塗装になりました。


クハ715-1110
反対側のクハも撮影しました。



クハ715-1010
当時の白坂駅です。

民営化後、この駅は何度も無人駅になったり有人駅になったりを繰返しました。


現在では改築されて改札口はおろか、トイレすらない駅になってしまいました。
当時原付免許しか持っていなかった私は白坂駅から歩いて黒川橋梁に向かいました。
白坂駅から約3km、私の足で28分です。

駅方面からここに到達する道は当時はまだ砂利道でした。
このポイントの後側、栃木・福島県境から黒磯寄りは舗装されています。
鉄橋を715系上り列車が通過中です。

奥に見えるコンクリート製の高架橋は東北新幹線のものです。
乗車中の新幹線から黒川橋梁を見ると瞬間しか見えません。

クハ715-1013
黒磯返しの↑の列車です。

ここでの画像はどれも雲行きの怪しいものばかりですが、この画像の撮影後スゴイ夕立ちに遭ってしまいました。

画像はトリミングを行っています。

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