今回は民営化後、国鉄当時の色が強く残っていた時の様子をご紹介します。
車体にJRマークが付いた以外はほとんど変わっていない・・・



まずは仙台地区の画像から

まだクリーム1号地だった頃の715系で、国鉄末期より455系に合わせたクリーム10号地のものに色替が始まりこのあとすぐに新塗装に統一されました。

JNRマークとJRマーク両方が付いています。
国鉄時代の昭和60年 9月に登場した東北色の色替は民営化までには終了出来なかったため、JR化以降もしばらく旧交直流色が残りました。

常磐用の453系は色替は行われていません。


クハ455-75
417系の冷房準備時代の画像です。
こちらは455系の場合とは異なり、東北色への色替は平成になってから行われています。

JRマークの位置にご注目です。
仙石線もごく一部が冷房車になった他は国鉄時代のままです。

105系は撮影していません・・・
60-3改正において客車近代化のために登場した12系2000番台です。
12系一般車からの改造で登場しました。

西日本用の1000番台と東日本用の2000番台車があり2000番台はスハフがなく機関車からの給電で賄われていました。機回しの時給電はどうしていたのでしょう、今更ながら気になります。
ここから2枚は東大宮操の様子です。

民営化当初はたったこれだけしか駐留されてなく寂しいものでした。
奥の方には使用されてなさそうな客車群がいます。

実はこれは国鉄清算事業団持ちの車両で、国鉄時代に既に廃車となった車両たちです。
ここにいる車両はすべて大宮に廃回されることはなく東大宮操構内にて解体されました。
普通の東海道線113系に見えますが、よく見ると1000番台車です。

国鉄最後の61-11改正において1編成のみ大船(当時)から田町に転属したもので、サロは1212・1233が組み込まれています。

現在でも多数の1000番台車がE217系によって東海道に出されて見ることが出来ますが、画像の113系は未更新・白Hゴムであるのが最大の特徴です。

クハ111-1122
常磐線の403系ですが、JR化後もデカ目がゴロゴロしていました。
60-3改正でボンネット型で埋め尽くされた『ひたち』ですが、61-11改正で編成短縮および増発のため非貫通形が復活しました。

ボンネット下のスカート形状から、九州からの転入車と思われます。

隣の211系がやたらとキレイですね。
61-11改正で15分ヘッドに大増発された東北線・高崎線の普通列車のうち、大宮−小金井・籠原間の列車については日中運転の列車に限り、画像のように115系4連や211系5連で運転されました。

この61-11改正で1往復のみですが東北線に211系が運転開始となっています。
いきなり大宮工場からの出場試運転列車の画像です。
豊田区103系8両(クハ103-901含む)の両端にクモヤが連結されています。

週休2日制があまり浸透していなかった頃なので、土曜日でもこのような列車が撮影できました。


クモヤ145-120
↑の最後部です。
民営化当初はまだ冷房率が低くJRマーク付きの非冷房車も見られました。

東北・高崎線上野口普通列車の100%冷房化達成は1990年です。

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